夜はおそらくカードの使えないだろう店で飲む約束で、編集で協力した円盤に乗る場の冊子『NEO!』の打ち上げを兼ねてようやく冊子の現物を献本いただくのだが、昼を済ませて財布に二千円しかないことに気がつく。しかも、キャッシュカードは家に置いてきた。終わった、と思う。しかしあれこれ検索してみるとコンビニのATM であればアプリだけで引き出せるようだった。終わってなかった。さっそく試してみるとするする引き出せた。便利だ。いつの間にこんなことになっていたのか。いつの間にといえば、今月の三日から発行された新紙幣をどれだけのあいだ見ずにいられるかと考えていて、今回の現金調達でいよいよかと観念していたけれど、まだ旧紙幣で吐き出されたのでよかった。
忘れたでいえば毎回駅のホームについたころ扇子を持ってくればよかったと思い、今度こそリュックにしまっておこうという気になるのだけれど帰ることには忘れている。覚えていたとして、そういえば今の家のどこにあるのだかわからない。さらにいえば二階の図書スペースの端っこに籠もり部屋が設えてあって、そこの折り畳み式の机の角が尖っていてきになるからヤスリがけしたいのだが、これも一階に降りると必ず忘れる。備忘のために昼間のうちにこの日記を書き、ヤスリの件は奥さんに連絡までしておいた。これでたぶん忘れないだろう。家の居心地がよくなってくると、出かけるのが億劫になる。都心までの距離が大きくなったこと以上に、居心地が大きい。家にいて満足なら家にいればいい。出かけたくなるというのは、外に行けばなにかいいことあるかもという期待で、家にいていい感じだと外出を促す「いいこと」へのハードルが上がらざるを得ず、だいたいの場合はわざわざ出かけなくてもいいかとなってしまう気がする。だからそもそもいいことなんかない出勤がますますうざくなる。暑いし。今夜はビールを飲むぞという気持ちだけでどうにかしているが、飲んだあくる日の出勤はさぞかしだるいだろう。通勤は読書時間だからいい。出勤と通勤の差異に敏感でいたい。僕が嫌いなのは前者だ。さいきんペットボトルを買いすぎるので試しに二リットルのボトルを買ってみたら見事退勤までに飲み干していた。
退勤後は繁華街のいい感じの焼き鳥屋で飲む。のちに上海料理屋に移って、細い豆腐や、セロリの炒めたのや、揚げパンをあさりの煮汁に浸して食べるのやを楽しみ、ゲテモノにも心惹かれつつ、電車が早いので先に退散。なかなかにへべれけで、帰り道のことをあまり覚えていない。そのくせ夜道で、ああ、こんな状態でもちゃんと家に帰れるくらいには新しい家に帰巣のセッティングがされているんだなあと妙に感心していたりもした。
