在宅で労働。午後に早上がりして青森に向かうため、タスクを順序よく片付ける必要があり、焦りながら動き続ける。資料作成や会議のあいまに朝食や昼食、荷造りなどを挟んでいくと、公的領域と私的領域がないまぜになって自己の定位が覚束なくなる。労働という計測可能な割り切りの世界と、私生活という分割不可能な塊とが高速で切り替わる。いや、そもそも切り替えるという発想自体に労働が入り込んでいる。すぐに割り切れるかのような「個」がまず先立つのが近代であり、よくわからない一塊として内外を知覚するセンスへと揺り戻しをかけるものとして制作行為というものはある。朝はトースト、資料作成、昼はモツカレーとチャパティ、荷造り、会議を早めに切り上げて、ちょうど入れ違いで会議が始まる奥さんは、玄関まで見送ってくれて、僕がもたもた靴を履いているあいだに仕事場に戻る。代わりにロボット掃除機を置いていったので、それに手を振って家を出る。
駅まで歩きながら、えきねっとのアカウントを復活させて、引っ越しを機にPASMOからSuicaに持ち替えたので、ICカードの紐付けをやり直す。クレジットカードの有効期限も更新しなくてはならなかった。歩いていると汗ばむほどだけれど、向こうはけっこう寒いらしいから長袖である。上野から弘前までのJRの切符を手元でさっさと手配して、あとは乗るだけ。駅構内で手土産を買う。五時間弱の道中に備え、U-NEXT のアプリのダウンロード機能を駆使して三本の映画をオフラインでも見られるようにしておいた。『ゴダールの探偵』、『日本春歌考』。どちらもKindleで読んでいる『黒沢清、21世紀の映画を語る』で言及されていていたもの。この本は面白くて、読み放題で読める。講演録なのでぱっと読んで、すぐに一区切りになるのもいい。新幹線ではビールとおにぎりをやりつつ、『かたちは思考する』を満足するまで読む。新幹線というのは読書空間なのかもしれない。どうせすぐ集中できなくなるという前提で映画を準備しておいたけれど、盛岡を過ぎてはやぶさが秋田行きと新青森行きに分かれ、ほとんど間を開けず再び走り出してからもずっと読んでいた。面白いなあ。大事に取っておいた甲斐があった。そう思いつつ、いっぺんに読むのも勿体なくなって、のこり一時間で新青森というタイミングで三本目の映画、森達也の『A』を再生した。新幹線が新青森駅に到着し、奥羽本線のホームで電車を待ちながら、その車中で三分の二ほど見て、弘前駅の改札前で高田さんが待っていてくれる。そのままタクシーで行きつけだというバーに連れて行ってもらい、おいしいピザや焼き鳥をいただく。焼き鳥は注文をとるとそのまま軒先で炭火焼きにするという形式で、バーでこんなに本格的なうまい焼き鳥が食べられるとはすごい。ビール片手ににこにことおしゃべりして、Vtuber、怪談、プロレスときて映画に結実していく。井土紀州の『LAZARUS』という映画が傑作らしいのだけど、簡便に見る方法はなさそうだった。
歩いて数分のところにある実家に泊めてもらうことになっていて、高田さんに幼少期の通学路を紹介してもらいながら夜道を歩くとすぐだった。玄関を入って右手に奥へと登る階段があり、ご両親は二階ですでに就寝の様子。声を顰めて階段から廊下を挟んで左手の扉を開けると、そこが客間だ。カーペット敷の奥が一段高くなって四畳半になっていて、そこに布団が何組かある。てきとうに好きなのを敷いて寝ていいという。カーペット敷のほうには扉の側の壁に沿ってピアノが置いてあって、屋根にはレースがかかっていて、上にはレシートやリセッシュ、灰皿に名刺などが配置されている。ピアノの手前にローテーブルがある。ここに縦長の長方形の木箱が鎮座している。これはなんだと二人で怖がる。形状としては桐箱のようで、人形でも収められていそうだった。恐る恐る開けてみると茶器セットで、扉には墨書きで何か書いてある。読むと、こうある。贈 言葉はやがて 血となり肉となる それを人は学問といふ 昭和三十八年某月某日 某氏
廊下に戻って奥が台所とリビングで、そこから左手に水場がある。なるほど。一通り案内を終えて、じゃ、置いてっていい? と言って高田さんは去っていく。あ、はい、と応えて寝巻きに着替え、歯を磨きに水場に向かう。高田さんはリビングで煙草を吸っていて、あちらは紙巻き、こちらは歯ブラシを加えたまま少し話す。うがいするころには本当に帰って行った。あす目を覚ます前には来るようにするからさ、気まずくならないように、などと気を遣ってるんだかよくわからないまま、でもまあ実家に泊めてやるという時点でなんとなく予感はしていたので、わりあい平気で客間に布団を敷き、MacBookをリュックから取り出して『A』の続きを見る。見終えて、日記を書いていると日付を越していて、あすは朝イチでサウナに連れてってくれるというのでそこでさっぱりするのが楽しみだった。眠っている見知らぬ人の気配を微かに感じながら、よその家の匂いの布団で横臥する。住宅街だからとても静かで、静けさの音がするほどだ。喉が渇いたような気がするが勝手にコップを使うのも気が引けるし、コンビニまで行ったとて戻ってこられる自信がない。困ったな、と思いつつ、そこまで困ってもおらず、これを書き終えたらあっさり寝てしまうような気もする。よくわからない成り行きで人の家で寝るというのが、そういえば僕はけっこう好きなのだった。
