「『それでも家を買いました』を代わりに見る」の続きをようやく書き上げた。もう半年以上放置しているくらいの重苦しさを感じていたが、三ヶ月だった。まだそんなものなのか。今の家にもずいぶん馴染んだ。三ヶ月前はまだここにいなかったのだ。三ヶ月なら、仕方がないかもなと思う。そのくらいは澱んでいてもいいのではないか。ともかく、自主的に始めておいてどんどん重たくしてしまっていたものを、とにかく前に進めた。進めることができたという事実によって得る大丈夫な感じというのはかなり大丈夫になる手応えがある。しかし、おそらく八千字弱ある。重いよ。もっと軽くあるべきだった。
梢はすか『一億人に戯曲を読んでもらう99の方法』への熱い感想がちらほらと目に入って、なんとなく嬉しい。この本は、文章量としてはそんなにないから、さらっと読めてしまうのがいい。アニメ一話見るのと同じくらいの集中力と時間があれば読み切れる。そして再読しても味がする。買ってすぐ読み終わることができる、というのは感想も集めやすいしいいかもしれない。僕はさいきん本が読めていないから、こういうさらっとしたものがとてもありがたい。次はこういうのを作りたいかもしれない。でも僕は話が長いから無理だろうな。
だって今日も、自主連載の二回目にして長い。長いのを書いたから日記を書く余力がない。Notion にAI機能が搭載されて、書いたものを要約してくれるらしいからそうしてもらおう。
ドラマ鑑賞と執筆の困難
『それでも家を買いました』の視聴と執筆が予想以上に時間がかかり、第一話の前半しか進んでいない
映像をスケッチする作業が疲れる上、見れば見るほど見逃すものが増え、際限なく膨れ上がる
新居への引越しや仕事の忙しさで、高負荷の制作を安定したリズムで続けることが困難になった
ドラマの内容と社会背景
ドラマは1980年代後半の日本を舞台に、社宅生活や住宅購入の問題を描いている
主人公の三上博史と田中美佐子夫妻を中心に、社宅での人間関係や家購入の悩みが描かれる
バブル経済期の地価高騰を背景に、「今すぐ家を買わなければ」という焦りが描かれている
執筆者の現在の状況と心境
新居購入後、生活に満足し、創作意欲が減退している
ドラマの内容と自身の経験を比較しながら、家を持つことの意味を考えている
あれだけ意図的に混濁させたドラマの内容と執筆者の状況を、こうもきちんと峻別できるのはすごいな。めっちゃ読解力あるじゃん。