2025.01.13

きょうも七時起き。自覚の上では猫の鳴く数秒前には目覚めていた。猫は五時台は静かで、七時まで鳴かなくなってきていて、えらい。かわいい。すっごく賢い。最高。人間も朝型に生成変化を始めていて、えらい。かわいい。すっごく賢い。最高。一階で朝食を済ませ、八時まで猫と遊ぶ。時間になったら家を出る。一本手前の電車が目の前で過ぎていくので、のんびりとコンビニに寄り道。ガム買う。

Xの閲覧時間を1分に制限しているから、朝、新日本プロレスのアカウントに飛んでバックステージコメントのサマリを大急ぎで確認している間に開けなくなる。その後はDrafts 経由で投稿だけならできるが、文字だけで画像添付は無理そうだから、告知とかをどうするかだな。

いつだかの『奇奇怪怪』で、Taitan がモテについて、自己像と他己像の一致している状態、と表していていいなと思った。たしかファッションについて話している流れで、自分にとってもっとも自分らしいと思える服や髪型というのがある、そのような外見の形式は、自己像と他己像とのズレが最小になっているか、それ自体がよさとして機能している。前回の美容院で前髪を耳から同じレベルに揃えたセンターパートにして、これがかなりしっくりきている。この髪型とパーカー、というのが現時点での僕の外面の形式としてよさそう。昨日買った上着がいい感じ。

温泉マークがカントの『純粋理性批判』を読もうと思って挫折しかけている話を伏見瞬としている動画を細切れに見ていて、終盤、『会社員の哲学』みたいな話があり、よかった。ちばあきお『キャプテン』が読み放題にあったので昼休みに読み始め、一話の時点でかなりぐっとくる。ここには大事なことが描いてある気がする。ラーメン食べながらカントは読めない。労働飯のお供は『キャプテン』だな。

坂部入門書はけっこう早書きっぽさもあり、一文のなかでも重複があったり、始めと結びの整合性が取れていなかったり、読みやすいわけではないのだけれど、カントを哲学史に置くのではなく、あくまで個人史として捉える、それはつまり、生きながら徐々に考えを修正していく、変化していく人間の足取りと伴走していくような書きぶりはかなり面白い。それは各著作を固定された完成品としてだけ捉えるのではなく、絶え間ない思考のプロセスに打たれた点として読むという態度で、そのように動き続けているものとして読まなければ哲学書というのは面白くないというか、読む手掛かりもよくわからないままなのだと思う。書き続けることで持続させられたある個人の思考の、ある時点での暫定的な姿へ、本の形でアクセスする。それは答えを得るためではなく、自分でなにかを考えるための足場の建設としてやるものだ。

早起きすると一日が長い。眠くなるのも早いけれど、夜に長く過ごすよりも、日が昇っている時間が長いほうがなんか長い。夜は眠い。夕食の後にお風呂だとだらだらしちゃうから、帰宅即お風呂で、そのあと食べるようにしてみているのだけど、温まった後だと胃腸が寝ちゃってすぐ食べられなくなるのが難点。献立はウハー。鮭のウハー。声に出すだけでご機嫌になる料理、ウハー。何度だって言いたいウハー。眠い。猫はなぜだか大興奮。あちこちあちこち走り回って、新日のプロレスラーばりに鉄柵に背中を打ちつけている。大丈夫なのかしら。クルル、と鳴きながら、膨らんだ尻尾を左右に振って、重心を下げ、突然ダッシュする。そして、ケージの二段目にすばやくあがり、水を飲む。床に転がった海老天のねこじゃらしに掴み掛かり、バシン!と上手に体ごと打ち付ける。プロレスの受け身のようだ。そして猫じゃらしを咥えたままソファの上の人間の膝に勢いよく走り込んできて見せつける。しきりに呼ぶくせに、人間が遊んでやらなくても、見ているところで大騒ぎしてくれる。あるいは、大騒ぎしているところを見せつけたいのかもしれない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。