シラスの同世代の方らが批評を語るやつを見て連想していたことをつらつらと。
労働って碌でもないし、本気で文明文化やろうとしたら不純で邪魔なものでしかないのだけれど、だからといって文明文化のプレイヤーが労働を軽んじるというのは、はたからみれば保護者に家事労働を任せっぱなしの甘ったれのくせに頭でっかちなご高説ばかり垂れてるのと同じみっともなさがある。
文明文化っぽいことで日銭を稼げていたとしても、その労働の側面を隠蔽して自分らだけは特別なんだ、みたいな振る舞いを見せると、受け手も馬鹿ではないのですぐにバレる。お前らだって労働者だろうが、と鼻白む。
資本主義社会において、労働者でないものなどいない。優れた作品の制作者が、すぐれた労働者であるとは限らない。というか、ラディカルに現実に抗うポテンシャルを有する作品というのは、そもそも現状からは遊離しているので売れるわけない。
金にはならないがいいものを作る人を道楽や慈善事業として支えてくれるような富豪や権力者もいなくなった現状において、各自が個人事業主として自分を養っていかなくてはいけないが、すぐには換金できなさそうなよさに賭けたい人ら、そのようなものにしか従事できない人らにとっては過酷な状況だ。
はじめに書いた批評的な言説の労働軽視っぽい雰囲気への違和感を三宅さんが(みんな本だけ読んで暮らしてるわけじゃない)、つづく、では換金できないよさを誰がどのように応援していくのか(本読むしか取り柄のない者たちを)という問題意識を残りのお二人が代表しているものとして見た。
そんなことを考えながら原稿を一本納品。
夜はブアマン監督の『脱出』を。『霊的最前線に立て!』で脱線的に言及されており、気になった映画。カサヴェテスの『ハズバンズ』並みの衝撃。七〇年代前半のアメリカ映画の男どものムンムンな野蛮さ、やばい。
