『HYPERTEXT』とカント『視霊者の夢』を並行して読んでいて、いまの関心は、オカルトという経験不可能なものを、実証的なもののように思考してしまうという人間理性のバグの内実を丁寧に点検していく作業にあるなと思う。カントから考える陰謀論、ありそう。まだ買ってなかったけど、やはり『霊的最前線に立て!』が読みたくなってきたから、きょうは本屋に寄ろうというのを楽しみにしつつ家を出る。七時に起きて、シャワーを浴びてから出かけるというのを今日もやって、いい感じ。
猫、外出していて会えないあいだは記憶がどんどん美化されて甘やかな逢瀬への期待が高まるのだけど、いざ帰宅すると気分じゃなければとことんそっけない。恋愛のこと、他人事としては楽しめるけど、自分のこととしてはあんまり好きじゃないなと気がついてからはわざわざ参加しようとも思わなかったけれど、この、想像上でどんどん肥大化していく理想と、具体的な対面での関係とのあいだの落差にいちいち小さく失望して、徐々に不可能な理想ではなく、大したことない現実の方にこそ愛着を育んでいくプロセスは楽しい。というか、恋愛とは「想像上でどんどん肥大化していく理想」の方を互いに演じ、押し付け合う苛烈な過程の謂であるとするならば、やはり恋愛は好きではないし、さっさと目の前の他者と具体的な関係を築けよと思ってしまう。何の話?
猫に会いたいと思いつつ、きょうは退勤後に観劇することを楽しみにもしていた。せっかくなので大山で降りて、中宿の商店街までだらだら歩く。あまり店も変わっておらず、景色に変わり映えがない。板橋区役所といえば婚姻届を出したところだ。板橋に暮らしていた頃はなかなか暗かった。たまにこうして再訪してみても思うが、僕はこの街となんだか合わない。どことなしに居心地の悪さがある。その正体はいまだに謎だけれど、暗かった頃の自分の記憶をここに置いてきているということな気もする。
サブテレニアンでNot in service『緑色のストッキング』。めちゃ笑った。村岡さんのお芝居は、僕は彼の書くものが好きなのだと思っていたけれど、安部公房の戯曲は村岡さんよりも村岡さんらしいと感じたので妙な具合だった。いつも村岡さんの書く芝居は、真顔で笑うというか、内心爆笑しているのだが、謎に緊張感が漲っておりどこまで本気かわからなくて表面化しないような可笑しさがあるのだけれど、これを見て、やっぱり笑かしにきてたんじゃん、と納得できた。そして、いい演出家なんだよな、と改めて発見する。いつもながら音がいい。今回は特に音響の仕事がとてもよくて、間抜けさから不穏さまで、空間の表現がこまやかに気が利いていた。地下の小屋で、地上階の空手教室のわんぱくな音がけっこう漏れ聞こえるのだけれど、そのような環境においてここまで閉塞感を感覚させられるのは、ひとえに音響の効果だった。そして構図がいちいち決まってる。演出とはまず第一にテキストをよく読むということで、村岡さんの読み方はとても格好いい。自作についてはその読解が、描く対象へのそれとして顕在化するのだけれど、既成台本だとかえって直裁的に演出の読む営為としての側面が際立つようだった。もとの戯曲を図書館で取り寄せてまだ受け取れていないのだけれど、上演の記憶がまだあるうちにどうにか読みたいと思う。演技の練度も高く、もっとでかいホールとかでも観たい、じゅうぶん耐えうる、と思った。この規模だからこその音像ではあった。
Not in service のお芝居を初めて観た時から、国書刊行会や水声社あたりから出ていそうな海外文学のテクスチャーを、あからさまな日本の湿っぽい土臭さのなかで実現できてしまう不思議を感じていたのだけれど、安部公房だったのか。あんま通ってないからちゃんと読んでみようと思った。
終演後は土砂降りで、会場にぐずぐずと留まり、知り合いや友人とすこしお喋りさせてもらう。久しぶりに会う顔ばかりで、学生会館の記憶が蘇る。嬉しい再会もあり、喜ばしい近況を教えてもらったりする。途中まで一緒に帰る。それから教えてもらったホラー小説を楽しく読み始める。道中長いので、半分くらい読み進めた。エンタメ小説というのはリーダビリティが非常に高くてすごい。日付の変わる頃にようやくお風呂に入れた。奥さんも飲み会だったから、待ちくたびれた猫は大興奮。しきりに鳴き続けるので、日記を書き出す前に思い切り遊んでやる。
