2025.06.30

そういえば、三宅香帆の「半身」は、平野啓一郎の「分人」をどうマネジメントするかという問題意識として読んだ。「分人」が一貫性をもった個人というものを相対化して、それぞれの環境下で成立する「私」同士の齟齬に悩まなくていいのだと人らを安心させたとして、すべての環境の「私」にいちいち全身全霊でいるのは無理だからきちんとリソースを配分しようという提案が「半身」。「私」の統合が幻想で、理念上いくらでも複数化できるとしたところで、日々消耗するこの心身はひとつじゃん、という。ソフトではなくハードへの意識転換。

単一の体から捻出される労働力を、ビジネスとケアにどのように割り振るか。これが『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の課題設定だと読むと、話は労働のマネジメントに終始し、読書はセルフケアという労働の一種としてだけ規定されかねない。

三宅は「労働はクソ」とは言っていない。素朴に働き者で、だからこそ多くの読者に届く。じっさいに「半身」で獲得すべきとされているのは労働力を再生産するセルフケアである。労働そのものを嫌い、相対化するために本を読む層にとって、何かはぐらかされている気がするとしたらそのあたりなのだろう。

さいきん新版が出た『就職しないで生きるには』を学生時代に読んで、「なんだよ、けっきょく働くのか、俺が読みたかったのは『労働しないで生きるには』だったんだ」と理不尽に憤っていたことを思い出す。いまはそこまでではなく、働き者のやむを得なさ、気持ちよさもわかるようになってきた。

平野の「分人」が、心なんて何個あってもいいですからね、と気を楽にする見立てだったとして、三宅の「半身」は、体が一個じゃ足りない!という、忙しい生活に対する具体的に差し迫った困難のほうを向いている。

朝の洗顔時に外した結婚指輪をつけ忘れて、一日落ち着かないで過ごす。つい、左手の親指で薬指の内側を撫でて不在を確認してしまう。というよりも、ふだん意識せずとも外出先では親指で指輪を撫でているのだろう。家にいるときは指輪をしていなくても気にならない。指輪のような装身具はポータブルな家だ。その感触を確かめることで家にいる「私」を、いつでもどこでも引き寄せることができる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。