2025.08.28

多少動けるようになってきたから一昨日の日記を書き始めると、もはや一昨日なのか昨日なのかわからず、絶えず書いている今日が入り込んでくる。風邪をひいて寝込んでいる時の日記ほど、思い出して書く個体と、思い出される行為者とのあいだの埋め難い異なりが際立つこともない。病んでいる時、後者は行為者と名指されてはいるがむしろ行為を断念し続けている。なにごとかを感じ考え続けているはずなのだけれど、それらはつねに痛みと共にあり、表層に浮かび上がってくるのはしんどさだけであり、後から振り返って記述する時、そのように上塗りされた痛みや怠さはどうしても漂白されてしまい、なにごとかをしっかり考えていたかのように書かれてしまうが、じっさいはそのような言語化は、事後的に、なにごとかを言葉で考えられるだけの体力を取り戻した体からしか出てこないものだ。かといって何も考えていなかったわけではないが、それは支離滅裂で、そのくせなんらかの強度を持った飛躍だ。その強度を、健康を取り戻した後に信じることはできない。神経痛がしつこく、どんな姿勢でいても痛い。だんだんイラついてくる。怒りが湧いてくると、もうそろそろ快復するんだなとわかる。まずはつねに圧倒され、出口が見つからず、だんだんムカついてきて、元気を取り返す。

先に健康を取り戻したと書いたが、まだ本調子ではない。ただ発熱は落ち着いたので、頭はつかえる。メールを何本か返す。あしたにはシャワーも浴びれるだろう。楽しみだ。一日中寝ていたので夜はうまく眠れず、二日くらい遅れて症状をなぞっている奥さんが寝ているあいだ、隣室で『ジェイムズ』を読んでいた。だんだん頭部の鈍痛や、節々の神経痛がぶり返してきたので横になるのだが、やっぱり眠れず難儀した。ルドンが足元にまるまってタオルと寝る場所を奪っていく。足の甲で毛の流れに沿って撫でてやる。股のところまでやってきたので手を伸ばして喉のところや耳の裏を掻いてやる。額の平面をなぞるように親指でかるくマッサージしているとすやすやと寝息を立て始める。その寝息のリズムは、隣で眠る奥さんのそれとほとんど同じなようで、だんだんどっちがどっちかわからなくなってきた。

日記は、それを書いているときに書けることだけしか書かれない。書かれようもない病気のしんどさを、強いて書こうとすれば紋切り型にしかならず、もっとも書きようのない私的さがまっさきに陳腐になる。それで、ヒトは結局似たり寄ったりなのだと保守の観念を養うのはそれはそれでひとつの知性だし、じっさい加齢と共にその妥当性を信じやすくもなっている。それでも、やはり安易に私的さを定型へと明け渡すことへの忌避感は、持っておくべきもののようにも思う。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。