2025.09.28

誰しも自分の話しかできないし、他人の話を自分の話として聞かないでいるのは難しい。自分との関係を実感しにくいような、遠いどこかの誰かの他人事を、そのまま他人事して扱い続ける方法とはどんなものだろうか。ここ最近こんなことばかり考えているのは、「さめない社交」について考えているからだろう。幸か不幸か、明らかなディスコミュニケーションが社交の場で起こってかなり困ったというようなことは今のところないのだけれど、コミュニケーションの侵襲性とでもいうようなものを、潔癖に避けるのでもなく、そういうものだと開き直るでもなく、微妙に傷つきつつやっていくということを諦めたくないのだと思う。ここに書いているようなことはつねに自分の考え事であって、他の誰の話もしていないのだけれど、こうして公にするかぎり、「お前の話なんかしてねぇよ」と言いたくなるようなお前に届くだろうし、お前はどうしたってお前の話としてこれを読むだろう。じっさい、ここで「お前」と名指すような誰かを具体的に想定しているということはまったくないのだけれど——強いて言えば自分に対して言っている——このような書き方をすると、多くの人はどうしても自分が呼びかけられたような気がして嫌な気持ちになるだろう。

とはいえこの日記は奥さんに読まれることを前提に書いているというか、それだけを動機として続けているところがあるが、それは奥さんに向けて書いているというのとは違う。この数日書いているような話は奥さんには興味がないだろう。けれども、こうしてうだうだのたうち回っているその姿は滑稽だね、と眺めて面白がってくれるかもしれない、という期待はある。自分との関係を実感しにくいような、遠いどこかの誰かの他人事を、そのまま他人事して扱うというのは、よくわかんないけど大変そう、なぜそんなことをしているのかわからない、知らんわー、などと言いながらも毎日これを読んでくれる奥さんのやっていることなのではないか。

きょうは平井駅の周辺を下見。来月ぽっとやる社交のための散策で、シャーク鮫さんが前回の平井でご一緒したSさんに声をかけて、Sさんにあれこれ案内していただく。最後はSさんのお宅にあがらせてもらって、レコードを聴かせてもらう。贅沢な時間だった。こうやってふらっとひとを招けるようになりたい。夕方には帰宅して、カハタレの稽古。台本の修正が間に合っておらず、こちらもセリフを覚えきれていないので、福岡の宿や空路の打ち合わせでさくっと終了。そのあとひとりでセリフを頑張って覚える。奥さんが作ってくれたつくねがとびきりの美味。玉ねぎをおろして絞るのがポイントらしい。新日本の成田ザック、DDTの青木高鹿、鈴木正田、平田ヨシヒコから連なるいつどこ挑戦を見る。成田、最高だなあ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。