寅さんも47作目まで。あと一作で終わってしまう。この日記の一年は、いまはほとんどページが進まないマルクスよりも、寅さんと共にあった気がする。『寅次郎の青春』の笠智衆には黒目の深さとか、声のしゃがれ具合にはっきりと死の影があって、自作から御前様は会話のなかでだけ健在となる。渥美清も明らかにここ二作で老いてきて、だからこそ鎌倉の海辺での満男の「お元気で」が切実に響く。満男は思えば着床前から知っているわけで、就職までした彼の成長に僕は感慨を覚えずにはいられない。満男はわりと嫌なやつなのがいい。親戚の子というのは性格の良し悪しでなく親戚だから「いい子」なのだということをリアルに思わずにはいられない。名古屋の彼女への仕打ちとか、その冷酷さがやけに現実的だ。そうやって子供が若者になりとしていくなかで、大人たちは老人になっていく。しかし渥美清はまだ老人というほどはない。肉体は衰えているが、まだ老人ではない。いくつだったのだろう。還暦手前ぐらいじゃなかろうか。わからない。長編小説のおわりも寂しいが、ほんとうに役者の肉体が衰えていくのをまざまざと見守りながらのおしまいは余計に寂しい。まさかここまで動揺することになるとはな、と思いながら僕は多分あす、いや昨日はしんどすぎて気絶するように眠ってしまったからこれを書いているきょうは土曜で、だから今日、終わってしまうのだろう。
