早起きした日に限って電車が盛大に遅れていてすべてがくだらないなという気分になる。ところで、まじでそうした最低の気分とは関係なくポジティブな話をする。『ホームページ』は『随風』の連載で取り上げられるかもという予感があり、無理を言ってゲラを読ませていただいたのだけれど、これは今年のベストの一冊になると思う。いま書いたものを真剣に読んでもらうにはどうしたらいいのか、実存と作中主体の癒着と乖離の扱いはどうあれるのか、など、古くてつねに新しい問いに真正面から応えようとしている本だ。まえがきにあたる部分にはこうある。
本書はホームページだ。といっても、現在のWWWにおけるそれではない。「何時何分何秒地球が何周回ったとき?」という煽り文句に、今回は地球の周回数以外、答えることができる。1995年1月17日5時46分52秒から2011年3月11日14時46分18秒まで。つまり、阪神淡路大震災以後から東日本大震災以前まで。Windows で言うと、95から7まで。まだ誰も言葉のなかに草を生やしていなかったころ。ブログはウェブログと呼ばれ、iモードに活気があり、5ちゃんねるが2ちゃんねるだったころ。でも、回顧厨になるつもりはないし、タイムマシンもない。あったとしても乗りたくない。過去にも、未来にも行きたくはないから、いま、あのころのようなホームページを作るためには、WWWではない場所で、別の仕方で、新しくこさえるしかない。見様見真似でHTMLを手打ちしていたあのころのように、たとえ不格好であっても、クソサイトであっても、場所は作らないといけない。そして更新しないといけない。
仲西森奈『ホームページ』(本屋lighthouse)「TOP(はじめに)」より
ここで重要なのは、本編ではWindows OSも、ネットスラングも、ウェブサービスやデバイスも、ほとんど前景化してこないということだ。ある時点での風俗のスナップショットをやりたいわけではない。そうではなく、《見様見真似でHTMLを手打ち》するように、誰かを招き入れることのできる自分の場所を自作し、維持管理していくという行為それ自体を一冊の本の形で表現することを目指している。日記なので躊躇いなく自分の話に引きつけてしまうが、僕はこのようなことを組版から在庫管理まですべて自分で担うという形である意味やってきたわけだけれど、この本は版元から出ているわけで、つまりサーバーまで自前で用意するわけではない、という塩梅があのころのホームページ感を実現しているともいえよう。いや、まあ自主制作本はサーバーまで自作しているかというと流通だったり印刷製本だったり、製紙だったり、すべてを自前でやるということの不可能を痛感することこそ自主制作なのだがそれはともかく。土地があるから活用するわけではない。賃貸で内装をえぐいくらい改装するという態度。一冊の内に混在するあらゆる文芸ジャンルの表現は、それぞれのジャンルの規範にわりあいきれいに収まっているのも、撤去時の工数の削減を目指したものだろう。増改築めいた過剰な重量と、敷金をしっかり回収しようという軽やかさの同居。そこにはすでにジャンルに規定された私性にも、プライバシー情報にも還元しきれないなにものかがある。
