『重力の虹』の下巻の注釈は「上巻の最後から読む必要がある。」というもので、愉快な気持ちになった。その後も上巻の註参照のことというのが頻発して、それはすこし困った。とはいえそんなに註釈は真面目に拾っていなくてある程度の速さをつければ人の名前も覚えていられるし、忘れてもなんか前に出てきてたっぽいことさえわかればなんとかなるので、脅かされていたほど難解という感じはしない。どちらかというと複雑、とか、情報量が多い、というのが正解で、書かれていることに難解さはないと思うが、コトバンクで調べると難解は「わかりにくいこと、むずかしいこと」とのことなので難解でいいのかもしれない。なんだか僕は難解という言葉に晦渋みたいな含みを勝手に持たせていたようだけれど、晦渋も調べたら「ことば、文章などがむずかしくて、意味がはっきりしないこと。文章がはっきりしないさま。難解。」と出てきたからもうなんでもいいやと思うが、とにかく『重力の虹』は語られている内容がわかりにくいというわけではなく、起こっている出来事はわりあい単純──読んでいて情景や状況を想起するのは難しくない──なのだけれど語り口がいちいち饒舌で登場人物も多くて目まぐるしくスイッチしていくからそういう過剰な情報を処理するのに負荷がかかるという小説で、それはどちらかというと僕は取扱説明書や決算書や組織図を読み解くときによく使う筋肉を酷使するような読み方で、小説を読む時によく動かす部分とは近接はしているかもしれないがやっぱり何か別物のようだった。
プルーストもそうだけれど長いことや文体はそれ自体で難解さを意味しないと僕は考えるようで、読んでいてこれはなにがどうなってるんだ?と空間内のモノの配置や湿度や温度や理路をいちいち組み立てようとしても一度でうまく像が結ばないようなものを僕は難解だと感じる。すごい! 本当に何が書いてあるのかさっぱりわからない! という本も実は上のような像を結べないことが難しさなのではなくて、そう言った像を組み立てるために必要な語彙や文脈が自分に揃っていないことの方に原因がある。
