2021.06.09(2-p.53)

帰り道にくしゃみをすると盛大に鼻水が飛び出てマスクの中が酷いことになった。このまま鼻水を食べてしまうよりはマシかな、と人気もそこまでないので思い切ってマスクを外して家までの五分を歩いた。いつの間にかすっかり夏の匂いがする。マスクというのはこうも匂いを遮断するのか、と改めて驚きながら、焦げたようなアスファルトの、握りつぶした虫のように鋭く青い草の、自動販売機の排気口から漏れる熱気の匂いたちが、一斉にすっきりした鼻の穴に入り込んでくる。

『T2 トレインスポッティング』AmazonPrime で観られることがわかったので『トレインスポッティング』を観返すところから。一作目は大学生の頃に観て、スタイリッシュ、とか思ったのだろう。それ以上はなくて、とにかく演出の巧みさを観ていた。いま観ると先日の中国の「寝そべり族」や日本だとニートや引きこもりのような減速主義者たちを想起するというか、成長を望みようもない世代のストラグルとしての自堕落という感じがして、ヒリヒリした。そういう読み方でいくと『T2』は非常にしっくりくる続編で、たしかにあの頃と比べて世界は豊かになったのだろう。ただし、彼らにとっては違う、という絶望や加齢に伴う諦念がぞっとするほどドライに描かれていた。しっかり落ち込む。選択の放棄というポーズすらも失効する選択肢のなさ。「親友」と青春時代を懐古する姿の痛々しさに、いつか新しいことに興味が持てなくなった時、拠り所となる文化って僕にとってはなんなんだろうな、と考える。じつはないかもしれない。アーカイブが充実している世代にとって、同時代性というものはそこまで重要ではない、といまは思っているが、どうなんだろう。

気がつけばすっかりロックンロールは年寄りの音楽で、しかしそういう年寄りの音楽を好んで聴いていた僕のような人はかつての若手演歌歌手のようなものなのだろうか。いまの子供たちにとって現在性というものがありうるのか、あらゆる音源へのアクセスがフラットに開かれていることで時代で括れない嗜好を持つものなのか僕にはわからないが、後者だとしたら面白いなと思う。わかりやすい大きな物語や歴史を構築できなくなった世界での雑食は、どんなものを生み出すだろう。とくになにも生み出さず、膨大なそれらを編集し提示するだけでもじゅうぶんな価値になってしまうような気もする。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。