本があまり読めなくて映画ばかり観ている気がするがピンチョンも読み終えてるし読んではいるのだろう。一日でも読めないともう読めていないような気持ちになってくよくよするが別に僕は本を読むことにそこまで自分を賭けていないというか、うっかりすると自分のことを「読書と奥さんがとても好きな人」とわかりやすくアイデンティファイしたくもなるが個人というのはそんなに単純なものではない。大学生の頃までそこまで本は読んでいなかったしどちらかというと映画が好きだった。『アンダーウォーター』を観る。クリステン・スチュワートの顔が好きだからだ。いま一番好きな顔かもしれない。クリステン・スチュワートの装いからして『エイリアン』へのリスペクトが溢れていてニコニコする。全編にわたって往年のモンスター映画やパニック映画への目配せが楽しく、それでいてちゃんと怖くてどきどきして最後まで面白い。大満足で、こういう映画にテレビでうっかり出くわしたらきっと期待以上の面白さに興奮するのだろうな、と謎の想定が浮かんだ。僕はやはり映画といえばテレビで見るものだった。映画館に通うという習慣は金に余裕のある首都圏暮らしの子供のものだと思っていた。今でも映画館に足繁く通う人たちのことを妬ましいようなそうでもないような気持ちで見ている。本をたくさん読む人に対しては特になんとも感じないのは、僕もある程度読んでいるからではなく、むしろ僕はほとんど本を読んでこなかったという意識で今もいるからだ。ピンチョンにかまけて放っておいた『企業中心社会を超えて』を四章まで。それから『三島由紀夫vs東大全共闘』を観る。面白かった。ユーモアと傾聴の態度をブラさず保ち続ける三島の様子はそれがどこまでもポーズであろうという臭さがあってもたしかに好ましいものだった。赤子をおんぶした清竜人みたいな人が不遜な態度で現れるところなんかはもはや漫画で、キャラ立ちがすごい。その男が野次に対し怒鳴り返したり手振りで牽制したりするところや、三島の煙草に火をつけるシーンのあとに七〇代になったその人が、煙草を返してやらねえとなあ、と呟くところでなんだこの熱いBLは! と興奮して奥さんに報告する。討論はもうほとんどセックス、という暴論が飛び出る。僕もああいう討論がしてみたいなあと思う。