2021.07.02(2-p.136)

『プルーストを読む生活』は役にも立たなければ物知りにもならない楽しいだけの読書、というところに注目されるように作っていたし、書いたので、読んでくださった人の多くがそこに喜んでくれる。プルーストのころの日記の楽しさは、それこそ恋のはじまりの束の間の眩さのようにというと気持ち悪いが、欲しいものを手にした後の安定による興奮の消失や、嫉妬による肉体的苦しみへと移行する前の段階にあって、では今はどうかというとやはり手にしたものは見えなくなっていくもので、読書量自体はあいかわらずだが、読んでいるものについていちいち日記に書き残しておくことは減った。本を読むのが楽しくなくなったとか喜びではなくなったわけではなく、ただこの楽しさや喜びはたぶんずっと続くという感覚から、わざわざ文字として前景化させるものではなくなってきた。また、雑誌を編集するようにあらゆる本から引用してくることで日記の面白さを安定させるのは実は簡単な書き方なので、ちゃんと毎日自分が苦労するやり方で書きたい気分がありつつ、元気がないから楽をして、結局とくに読み応えのない日記をこの一年くらいはたらたらと続けたというのが実際いちばん本当らしいようにも思う。

結局はプルーストの頃とほとんど変わらない書き方に落ち着きそうではあるが、とにかくなるべく自分で書く比重を増やして、サボりたい時にその時々に読んでいるものの目についたところを引用していくようなやり方へとマイナーチェンジしていきたいとは思っている。あっと思った箇所をピン留めするように引用することもせず、なにか言語化しきれていない部分に挑むこともせず、ただ漫然と書く日記は読む方は知らないが僕はとにかく面白くなくなったというか面白くないならやめればいいのに惰性だけで書けてしまうほど日記は生活に組み込まれており、意志よりも習慣のほうがずっと強い。

書くというのは出来上がったものがどれだけ凡庸になろうとも書く前には書けなかったことを書こうとしなければただの労苦であって、書けないことを書こうとするからこそ全身が喜ぶし、いつか読み返したときに思っていたよりはうまく書けていたことに気がつき満更でもない気持ちになったり、さっぱり何を書いてあるのかわからなくて苦笑したりできる。書く前から書けそうなことは書かなくてもいい。どうせ誰かが先に書いているからではない。何を書いても誰かと似たことになるのは文字という共通の道具を使っているのだから当たり前でもあり、「自分と似たような人がたしかにいる」という希望でもある。

雨が強くて傘をうまくさせない僕は濡れる。一度濡れてしまえば諦めがついて、信号を待ちながらiPhoneでこの日記の一段落目を書いていると、『プルーストを読む生活』以後の日記が一年半くらいある、本にする気はまったくなかったけれど、本にしてもいいかもしれない、という気持ちがふと湧いた。

プルーストや保坂和志や阿久津隆や滝口悠生の文体に積極的にかぶれていくスタイルで書いていった『プルーストを読む生活』の頃とちがい、自分の文体というか自分の体調に合わせて書くのを試している時期で、用法としては正しくないかもしれないけれど「個体性」みたいなのは今のほうがある。ただ、だからこそ本の形にして出すことにあんまり意味を感じないでいるところはあって、たとえば「読書の喜び」みたいなわかりやすいパッケージが思い浮かばない。それはそうで、プルーストの時はそのへん戦略的にやっていたけれど、今の日記は本当にただ日記というか、場当たり的な日々の読み書きだ。

「誰が読むの?」という問いが本を作るなら僕は不可欠で、自分みたいな人、というのが前回はあったけれど、自分みたいな人は無名の会社員の漫然とした日記を読みたくはならない。ずっとそう思っていたけれど、今日ふと「今の自分みたいな人は読まないかもだけど、いつかの自分は読みたくなるかも」という予感が来た。それは「いまの自分と似たような人がたしかにいる」だけでなく「かつての、あるいはこれからの自分と似たような人がどこかにはいるだろう」ということで、これまでの楽観よりもなんとなく広くなったような感じがある。どういうことだろう。あと数週間で五輪が始まってしまいそうなこととか、雨でパーカーがぐっしょりしていることとか、気圧が頭からぐーっと体を押さえつけてくるようでつらいとか、仕事でぼんやりしているうちに致命的かもしれないくらいの遅延があることに気がついてしまったとか、だいたいあらゆることが最悪なのに、いや、書いているうちに分かってしまったけれどだからこそ現実逃避のために本を作りたくなっているんだな。自分でなんとかできる余地なんてほとんどどこにも残されていない。だからこそ、日々を、身の回りを、自分を、すこしでもマシなものにするためには、小さくても自分に納得のいくモノや場所を作ってみせてやること。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。