気晴らしにかわいい服とか買いたい。
車内の吊り広告で、炭酸水のものがあって、炭酸水の選定基準をこちらに問いかけてくるものだったのだけど、なかほどの質問に「クールなCM? うんうんうん。」とあり、これは相当ダサいな、とゾワゾワした。この「うんうんうん。」のキモさ。かつて広告というのはこの十年くらいのイキってるIT界隈のような存在だったのかもしれない。なにかしら上の方の視座から不特定多数の人をコントロールできる幻想に彩られていたというか、従事者の多くが自意識を幼稚な万能感でぶくぶくと太らせていたのだろうな、と感じる。広告というのは、いまとなっては下品で取り残された肥満児のようなものだ。まだ自分たちは「クール」だと思い込んでいるイタさが恥ずかしげもなく全面に打ち出されていて、いっそ痛快だったが、全く褒めていないし、こうした反応もまた反応としてこのお粗末な仕事をした人の成果になるという論法は、端的に自身のハラスメントを正当化するバカの論理だ。電車に乗るたびに苛立つのは、こうした広告に目が汚れるからなのかもしれない。読まなきゃいいじゃんって言われても、活字中毒者にとって、とりあえず文字は読むものだ。
非常に憂鬱な気持ちで、気分はもう立派に春だった。出勤という行為──それに伴う通勤時間は読書ができるから悪くはないのだけれど──は、仕事の合間にリングフィットや原稿整理ができちゃう在宅勤務に慣れてしまうと、なんと無駄な時間の使い方なのだ、と思えて仕方がない。
春に向けての本作りが本格化してくるタイミングで賃労働も盛り上がるというのはもはやお馴染みの光景だ。どちらも頑張らなくてはいけない。でも今はとりあえず寝たい。ちょっとだけ、横になってもいいかな。
横になれないまま働いて、本の作業も少しだけ進めて、えらかった。