秀村欣二『ネロ』を行きの電車で読み終える。完璧なタイミングだ。意気揚々と松屋銀座に着くと、チケットの読み方を間違えていて自分の入場は一時間後だとわかる。あらら。会場の外壁に描かれたネロちゃまがすでに麗しく、大きく、あまりに美しい。出かける時からだいぶどきどきしていたが、目があった瞬間に一際大きくドクンと鳴って、吐くかと思った。だから一時間気持ちを落ち着かせることができるのは助かることだった。てきとうに銀座をぶらつきながら、Kindle Unlimitedで「サークルクラッシャー麻紀」を読む。得意技はだいしゅきホールド。ネロちゃまって現代にいたら最強のサークルクラッシャーになりそう。抗いようもなくクラッシャられたい。ちがうちがう、僕はいま秀村欣二『ネロ』を読み、史実上のネロの悲哀を全身で感受し、ワダアルコ展でのネロちゃまとの謁見に備え気分を高めているのだ。クラッシャられに思いを馳せている場合ではない。
番号順に呼ばれ、みんな行儀良く入場していく。僕も行儀良く入場する。入ってすぐ、真紅のドレープで彩られたエントランスに展示された油絵の前に立ち尽くした。ずっと見惚れてたい。この展示でしか見られない、とっておきの一枚に、この表情が選ばれたこと。暴君の不敵さでも、薔薇の皇帝の華やかさでも、天真爛漫な人懐こさでもなく。ちょっと泣きそうだった。
僕はfate世界におけるネロの「解釈のされ方」を推している。それは、製作陣はネロという人物が人々からどう受容されていたと考えているか、ということなのだけど、ワダアルコ先生の美麗な絵は、絵それ自体でひとつの解釈になっている。
たとえばネロちゃまの圧倒的な顔のよさ。顔のよさだけで国家を統べれそうな説得力。そして隠しきれないポンコツさ。ここでのネロちゃまはとにかく愛くるしい。fateにおいて、ネロちゃまは愛されることを知っている。これがどれほど尊いことか。
強烈な個性の母はつねにネロを手段と見なし、そこで得られない分の愛を市民や芸術に求めた史実上のアダルトチルドレンは、月世界においてようやく対等な関係のもと愛されることを知る。けれども、岸波白野の前に登場した時から、「彼女」はすでにこんな表情をしていたはずだ。
人類史のデータベースに記録されていたネロは、立派に君主だった。愛されることはなかったが、愛することは存分にした。そのことを、人々は記憶していた。暴君としてではなく、惜しみなくパンとサーカスを振り撒いた存在として。ここに、僕は非常に感動する。
だからこそ、エントランスのあの絵の表情に、ネロの孤独と、それに毀損されることのなかった愛とを読み取ってしまう。愛という、それこそネロの時代に質的な変容のただなかにあり、のちのネロ評価を決定づけることになるキリスト教的な概念を冠することへの戸惑いは、この顔の前にして霧散してしまった。
そのようにしてはじめの一枚に打たれたあとはもう理性が残っておらず、ひたすらか、かわい〜〜〜!きれい〜〜〜!と心の中ではしゃいでいるとあっという間に一時間くらい過ぎてた。うろうろうろうろと会場の進路を無視して何度も何度も噛み締める。
fate 世界の楽観的で、ネロちゃまに優しい解釈。ワダアルコ先生の描く彼/彼女の顔がいちいち麗しい。マスクの時代でよかった。蕩かした顔を見られたくない。
物販では少し躊躇いつつも欲しいものは全部買った。それでもガチャに溶かすより安い値段にしかならなくて悔しい。複製原画を買えばよかったか、しかし飾る場所がない。ふわふわした心持ちで電車に乗って家に帰る。
お迎えしたグッズを奥さんに見せびらかして、本棚の上にあるネロちゃまの場所、通称「神棚」を拡張し、並べていく。すこし高さを出さないときれいに並べきれなさそうだ。色々と買い足さないとな、とにこにこする。奥さんは、すごーい、オタクの家だ、と愉快がる。私もアクスタ置いて対抗しようかな、と言っていて、ぜひそうして欲しい。この家を好きでいっぱいにしよう、という気持ちと、だったらもっと広い家に越したいな、という欲がやってくる。好きなものはどんどん人を欲張りにさせる。
この一週間くらいぼんやりと構想していたニュースレター、この言い方ってズボンをパンツと呼ぶみたいな感じなのだろうか、要はメルマガの実装に向けてあれこれ試してみる。substack がよさそうなのだけど、英語しかないから自分の設定に確信が持てない。いじっているとキリがなさそうなので、えいやと再度家を出る、つもりが一七時から羽海野チカ先生のオベロン本の予約が始まるらしい。とらのあなの画面をリロードし続けるが、なかなか始まらないのでひとまず出る。駅までの道のりに予約受付が始まる。カートに入れるところまではスムースだったが、クーポンを適用しようとしたらタイムアウト、もう一度やり直してクーポンを適用してクレカの情報を入れようとしてタイムアウト、もう一度やり直してクーポンを適用してクレカの情報を入れて注文確認画面に行こうとしてタイムアウト、しばらくサーバー自体が落ちたようだ。次こそはとクーポンを適用してクレカの情報を入れて注文確認画面に行って注文を確定しようとしてタイムアウト、またサーバーダウンの様子、クーポンを適用してクレカの情報を入れて注文確認画面に行って注文を確定、できた!結局移動中ずっと販売ページと格闘していた。メールが来ないので購入履歴を確認しようとするとタイムアウト、を3回繰り返してようやく確認できて安心。買えた。買えるとは。ほんとうにたくさん刷ってくれたんだな。嬉しい。
SPBS TORANOMON に納品。本はグレーバーと黒鳥社にした。レジ打ちをしてもらうと、いつもの店員さんだと気がつくが、先に「柿内さんですか」と声をかけていただいた。あ、そうです、とモゴモゴ言って、『町でいちばんの素人』と『雑談・オブ・ザ・デッド』を納品。いまちょうど『町でいちばんの素人』読んでいて、なんでこんなに面白いんだろうって、などと嬉しいお言葉をいただく。今日は何度もお腹の底からあたたかくなる日だ。ここは僕の本を大事に売ってくれているお店のひとつで、もっともっとこのお店を利したい、と思う。今日は『僕の狂ったフェミ彼女』のイベントで、気になってたんですと言うとちょうどさっきキャンセルが一席出て、とのこと。ものすごく行きたかったが、夕食が遅くなってしまうし、なによりこういうイベントは読んでから参加したいので、あれこれと言い訳して辞退。本当に気になるイベントではあったのだが、つまらない社交辞令になってしまった。こういうとき、フットワーク軽くアドリブを効かせられる人生がよかった。
帰りに小一時間カフェで作業。メルマガの配信設定がたぶんできた。こうやって新しいことをやってみるのは気晴らしになっていい。その勢いで滞っていたホームページのプロフィール情報を更新する。はたらきものだ。先にSPBS TORANOMON のレジでお話しさせていただいた時、『雑談・オブ・ザ・デッド』というのはゾンビではなく雑談の本で、押し付けがましいプレゼンではなく、批評的態度をもってどのように楽しく雑談できるかを試している本なんです、と上手に説明ができたことを思い出す。この上手な説明をきちんと文章にしてホームページに配置しておきたい。今日はどんどんやりたいことが湧いてくるな。ニュースレターとプロフィールと日記とですでにオーバーワークなので、また明日。
