2023.01.05

なんだか今日はやけに部屋が寒くて、指先や鼻先が冷え冷えになるし、そうするともうすべてがアホくさくなってしまう。萎びた気持ちで一日を過ごす。それでも自分を奮い立たせて納品の手配をしたり、メールの返信をしたり、もろもろの書きものを進めたり、今年制作する予定のZINE のスケジュールをざっと素描してみたりと精力的に柿内正午活動を行なった。本を作るとき、ひとりにでも届けばすでにワンダーなのだが、これが数十人、数百人になってくるとなんとなく不思議さや驚きは色褪せてしまってただの数値になってしまうことがある。数値は比較の道具だから、ほかの誰かは僕よりもずっと上手くやっている、何千部も売れている、増刷を連発している、などと羨ましくなってぜんぜん楽しくない。欲望の規模を自分の楽しい程度に収めておくというのはわりと難しいことで、気を抜くと自分で実感できるひとりひとりのワンダーよりも、省略されて内容に貧しいぶん他人との共有が容易な数値のほうを見てしまう。

僕はジェンダーや会社員であることなど、現代社会において位置付けられる属性の多くがマジョリティなこともあって、基本的に自分を「恵まれている」側として考える癖がついている。だから数値の競争に完全にのっとられずに済んでいるというか、もっと俺を認めろ、もっと俺に注目しろ、なんであいつらだけ、みたいに切迫しないままでいられるのだと思う。なんならそんなに目立ちたくもない。日々穏やかに暮らしていきたいし、そんなにあくせくやりたくない。自分のペースで勝手に忙しくしたい時はそうして、できたものを数十人が読んでくれる。数でなく、読んでもらえたという事実にいちいち驚き喜べる。そういう状態をなんとか維持できていて嬉しいし、これからもそうであってほしい。

とはいえ素敵な人たちに声をかけてもらって、一緒におしゃべりしたり、背伸びした文章を書いたりするのはとても楽しいから、そういう思いはもっとしたい。書いたものが耳目を集めたり、よく売れたりと市場価値があったほうが、発注してくれる立場からしてみればよいだろうから、そのためにはもっと目立ったり売れたりしたいものだな、とは思うけれど、僕はあくまでどこの馬の骨ともしれない誰でもない誰かであって、才気煥発な個性のかたまりではない。本や文を作って売ることは、べつに自分の全人格を世に売り込むのを意味しない。売っているのはただ本であり、文だ。商品として扱いやすいものであれば広く流通したりもするだろうし、そうでなければ細々と取引されるというだけのこと。これまでは商品としての価値からは意識的に距離をとるようにして書いてきた。今年は、書くものを売り物として磨いてみるということもしてみたい。自分にそんなことができるとは思えないのだが、だからこそ練習してみたい。

連休が終わる。終わってしまう。本気で泣きそうだ。もう絶対に働きたくない。売文だけで生きていきたい。この日記が一日一万円くらいで売れれば、遊んで暮らせるのに。遊んで暮らしたいなあ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。