2023.01.11

自分語りは悪いことではなくて自己を相対化するためにも必要なステップなので、インターネットが実現した拡声器へのアクセスの容易さによって誰でも屋上のようなところから大きな声でどうでもいい自分の考えや感覚を発表できる可能性をひらいたこと自体は、いい面の方が大きいように考えている。

でも、大半の人は自分がどうでもいい存在であることを認めるのが耐え難い。自分を語ることによって「どうでもよさ」が露呈するのを恐れ、代わりに他人のことをとやかく言うほうが楽だったから、拡声器を得たあともテレビの前の独り言と同じように他人のことばかり言うだけだった。自分語りを忌避し、他人事へ嘴を突っ込むことを社会的意義のあることのようにのめり込むことは、見かけに反して自己愛の甘やかしを増長させていく一方な気がする。

うちはうち、よそはよそ。

よそのことをうちの理屈で語るのはみっともないし、うちのことをよその理屈で語るのも卑屈だ。自分のことを自分でバラし再構成することをサボらないほうがいい。よその理屈は自分だけではどうにもならない困難をいなすための杖としてだけ使えばよくて、それだけを原理原則として自分の判断を明け渡しすぎてもおかしなことになってしまう。自分のことには自分しか興味ないのだし、自分で自分なりのよさを確保するしかない。

昨日の晩ご飯について大きな声で発表できる場があることの痛快さよ。発表できるというだけで、とくだん誰からも相手にされないことのほうが多いのもいい。みんな誰にも構われずに大きな声でどうでもいいことを話してほしい。極端に邪悪な意見の発表が目立つのは、いまはそういう人たちだけが声を出していて、大多数の人たちはそもそもその声に反応するだけだからだ。お互い無視して好きなことを言い放っていれば、だいたいの他人はまじでどうでもいいということがわかるだろう。

エゴサしていたら『町でいちばんの素人』からの引用らしい文章が出てきた。そこにはこうある。「利己心の潔癖な忌避は、セルフネグレクトでしかない。まずは自分のフィールドを構築することから。思いやりは余裕の副産物なのだから、自分が楽チンであればあるほど思いやりの質も高まっていく」。いいこと言うなあ。この柿内正午という人は。

ジャンプ+で『ハイパーインフレーション』を最新話まで読んでたいへん面白く、その盛り上がりでわくわくと『手数料と物流の経済全史』を読み出したらあんまり面白くなくてつまみ読みして済ませた。手数料と物流の観点から人類史を読み解くと期待させておいて、教科書の便覧のような世界史のおさらいに終始していて思ったよりわくわくしなかったのと、一文への情報の込め方が粗くてどうもノレず、残念。けっこう楽しみに寝かしていたのに。このさい借りるだけ借りて積んでいる本の精査をしておこうかと、十冊くらいの山を作って序文やはじめの一章のザッピングを始める。『「趣味に生きる」の文化論 シリアスレジャーから考える』、『<読書国民>の誕生 明治30年代の活字メディアと読書文化』、『進化とは何か ドーキンス博士の特別講義』、『海からの贈物』、『生命の意味論』、『<世界史>の哲学 近代篇1 <主体>の誕生』、『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』、『解放された観客』。ぜんぶ面白そうで、読まずに返すのは無理そうだった。いまの気分は大澤真幸とエドワード・J・ワッツで、この二冊を中心に、アン・モロウ・リンドバーグのたこぶねで深呼吸して、シリアスレジャーについてシリアスに考えていく布陣で行きたい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。