ほぼ個室のカプセルは快適で、九時くらいまで寝こけていた。本町のtoi books まで五分で歩いて行ける宿だったけれど、今回はリュック一つで出てきているのもあり、在庫もないし、本屋にはなるべく行かない方向で行程を組み立てるつもりだった。惜しい気持ちは当然ある。でもどうせまた来るのだから、本屋に行きたいところをぐっとこらえ、知らない町としての大阪を見に行きたい。青木さんと鶴橋を歩いて大阪コリアタウン歴史資料館に行こうかと相談していたのだけれど、急遽スズキナオさんが都合をつけてくださった。青木さんにはお詫びを入れて、ナオさんのおすすめを伺うと、鶴橋に行きましょうとのことで、偶然の一致だった。青木さんとも向こうで出くわせるかもなと考えて愉快になる。近場の卵かけごはん専門店で朝食をいただき、『「それから」の大阪』の鶴橋の回を読み返しながら楽しみな気持ちが盛り上がる。
待ち合わせは午後だから、午前中はぷらぷら歩こう。日曜にEVIL 対モクスリーやBEST OF THE SUPER Jr. の決勝戦など盛りだくさんの興行が予定されている大阪城ホールを見に行きたいと思い立ち、見当をつけて歩き出す。日差しが強く、日傘をさした。大阪城はでかかった。城もそうだし、敷地も広い。攻めづらそうな城で、堀も何重にもめぐらされているし、なんていうんだっけ、大きな岩を積み上げたやつも要所に聳え立ち、城までの動線は入り組んでいる。高低差もすごい。地図上では近道だと思って城を経由したが、かるい登山だ。城の傍らにはタリーズコーヒーやスーベニアショップ忍──せめてもっと忍べよ──がある。観光客がたくさんいて、切り立った岩を登ったところから大阪を見晴るかす姿を眺めていると、バルセロナのモンジュイックの丘をなんとなく想起して、かれらにとってここからの眺めはあのような楽しさや新鮮さがあるものなのだろうかと思う。堀を金ぴかの遊覧船が滑っていって、いいな、と思う。大阪城ホールはひらぺったく、下に降りてしまうと隠れてしまう。水上バスのリマがあるようで、ちょうど来るところだったから乗った。けっこう高い。一八〇〇円もする。そのうえ「安心の指定席」で、ものは言い様だった。幸い窓側だ。デッキがないのが残念だった。船は好きだが、風に当たるのがいちばん楽しい。でも、車高というのだろうか船のそれが低くて水面が近く、ゆらゆらという振動がよく伝わってくるのはそれだけで面白い。「潜水作業中」という幟があり、男たちがなにかごつい機械を操作しながら仕事をしていた。パトロールの黒いボートもあった。道頓堀方面から荷物を牽引してくる船もあった。そうか、大阪は水路を張り巡らされた街なのだなといまさら思う。後で写真を見せた奥さんは、大阪は雲が低い、と言った。水路が多いから、雲も厚めにできるのだろうか。考えたこともなかったから、このとき僕はいい天気だなあとしか思っていなかった。船は中之島でUターンするのだが、水上から見やる大阪市中央公会堂はかっこよく、このように名所として遊覧するような場所で昨晩は喋ったのだなあという感慨がやってくる。船に乗っていると往来に手を振ってしまう人間、船を見かけると思わず手を振ってしまう人間、手を振られると手を振り返してしまう人間、みんなニコニコで、かわいい。
商業施設でトイレを借りて、ゴミ箱はどこにも見当たらない。公共ってゴミ箱とトイレのことだと思う。誰もやりたかないけど誰かはやらなければならないことを動機づけるものがお金しかないと、誰もやりたかないけど誰かはやらなければならないことをやると儲かる仕組みか、お金にもならないことをやっていても暮らしていける仕組みが必要になる。前者が民営で、後者が公営。儲からないけどやらなきゃいけないことを賄っているときのみ税を肯定してやらんでもない。ベンチはなくはないが一人掛けで寝そべれない。管理会社に退去の連絡を入れて、これからの手続きを教えてもらう。いよいよ近づいてきた。
環状線で鶴橋について、まだ時間があったので駅前の商店街を探検する。道幅が狭く、曲がり角が多く、看板がひしめき合う道は官能的で、わくわくする。時間になって改札に向かうと、ナオさんが改札のほうを見守りながらぽつねんと立っていて、その背中がとてもスズキナオという雰囲気があった。後ろからお声がけし、先にちょっと歩いていたんですと話す。さっき楽しく迷子になった道を今度は頼もしく着いていって、よあけ食堂に連れて行ってもらう。店の前に出てきていたおかみさんは、あらナオさん! いつもありがとねぇ、と嬉しそう。突き出しのキムチと春雨、太っちゃんという、ソーメンを豚キムチと炒めたもの、エビエッグというメニュー曰く「説明めんどくさいけど美味しいやつ」をつまみにビールを二杯。己のみみっちさや、誰かを応援することの大事さなど、あれこれ話し、ほがらかな気分になっていく。『二人のデカメロン』を差し上げるとお礼に『捨てられない紙』をくださるという。あとで郵送しますねとおっしゃってくださるのだが、むしろ負担を増やしてしまうようですこし申し訳ない。せっかくだからこの辺を散歩しましょうとお誘いいただき、商店街を抜けてコリアタウンのほうまでそぞろ歩く。通りには韓国アイドルのグッズ売りや、日常使いのお店が同居しており、どこかのお兄さんがよく通る声で言った。
いやぁ始まりましたね、夏が!
その通りだった。僕もナオさんも、始まったんですねぇ、と自分らに向けられたわけでもないその声に返事をする。アーケードの下は陰になって涼しかったのだなと陽射しにさらされてよくわかる。公園のトイレを使って、大阪コリアタウン歴史資料館を探す。その近くで消防隊員が出動していて野次馬が心配そうに眺めていた。火元は確認できなかったけれど、大事なければいい。資料館を見学して、ハングルの電算写植システムを開発した高仁凰という人に興味を持ってあれこれと教えてもらう。文字を書くための技術を整備すること、Life の事務特集や『チャイニーズ・タイプライター』以降そこにとても関心があるのだ。それは自分たちのアイデンティティを、電算処理の可能な形式へと翻訳する作業であり、それはとても知的かつ実存的な営みだったと想像している、そのようなことをお伝えすると、ちょうどかれについての論文が出たのだと見せてもらい、読み切れはしないので後日送ってもらえないか相談して丁寧に対応していただく。二〇一二年に亡くなったというかれの人となりやホームページについても教えてもらった。そこにはこうある。
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資料館を出ると、消防隊の姿はなくなっていた。通りが違ったのか、何事もなかったのか、すっかり方向感覚を失った僕には判別がつかなかった。駅のほうへと逍遥しているとあほやがある。錦糸町にもあって好きなたこ焼き屋。これが本場のあほやなのかしら!とはしゃぐ。おなかはいっぱいなので食べない。今晩、橋ノ上ノ屋台という催しがあって、大正駅からすぐの大浪橋に屋台が出るのだとナオさんに教えてもらう。終電を調べると一時間はいれそうだ。行きたいですと応える。いったん夕飯を作りに帰るから、夜また会いましょうと電車に乗るナオさんに手を振って別れ、天王寺方面へひとりで歩き出す。それであれば『捨てられない紙』もきょう受け取れるなと気がつき、そう連絡する。さすがに酷暑で、たまらず薬局に駆け込み赤ちゃんにも使える日焼け止めを買い、塗りたくる。サングラスにつけかえ、日傘をさし、水をがぶがぶ飲みながら歩く。酒飲んで炎天下を歩きどおすのはけっこう危険だった。オンガージュ・サロンで十六時くらいから中川さんが本屋をやるというので来たのだ。ガラス張りの気持ちのよさそうな縁側ごしにこちらに気がついた中川さんが、おっという顔をして、笑顔で手を振ってくれる。朱さんもいらっしゃって、はじめましてだ。よはく舎の小林さんもいらっしゃって、せっかくなのでここで買おうと『人類の会話のための哲学』を買ってサインしていただく。ハンコが可愛い。中川さんセレクトの日本酒もいただきつつ、小林さんと日本現代文学についてあれこれお話。マルジナリア書店でイベントやりたいですねとうきうきする。はやめに来場された方々とお話ししつつ、中川さんの棚を眺めつつ、楽しく過ごし、いい空間だな、とうれしい。青木さんが駆け込んできて、そろそろイベントが始まるというタイミングで退散してしまったけれど、きっといい話がたくさんあっただろう。
桃谷駅から大正駅に移動して、大浪橋をめざす。すこしはやかったから適当に腰掛けられそうなスペースを見つけて本を読んでいたら、車道を挟んで向こう側からゴロゴロと音がしてくる。二つの屋台が押されてやってくる。すごい、ほんとうにきた。この登場や設営を目撃できただけでもう楽しい。橋を下って、信号を渡ってまた上る。ぐるっとまわって屋台にたどり着き、コーラウイスキーと串をもらう。ナオさんもすぐにやってきて、二度目の乾杯。『捨てられない紙』をいただく。ZINE の物々交換ってなんでこんなに嬉しいんだろう。十九時だとまだすこし明るくて、だんだんと日が暮れていく。夜風も気持ちがよく、川面に反射する街や電車の明かりがじつにいい。常連さんらとわいわい話し、ナオさんが僕のことを紹介してくれると、えっ今ちょうど持ってますよとリュックから『会社員の哲学』が取り出されたので驚いた。どこで買ったかと訊くと大阪ではなく福岡のブックバーひつじがとのことで、シモダさんの友人のようだった。幾重にもなった偶然に驚きはしゃぐ。この前、β本町での屋台で飲んだ時は酔っぱらい過ぎて終電を逃した。それを覚えている人も何人かいらして、しかし僕は酔っぱらっていたので忘れていた。今日はちゃんと帰る!と言いながらもう一杯即席モヒートをもらうのだから心配この上なかったが、ちゃんとそれを飲み終えて二〇時ちょっと過ぎにはじゃあね、と歩き出せたのだからえらい。ナオさんが僕も一緒に帰りますよと言ってくださったおかげだ。電車でお話ししながら、駅の数を知らないからどこまで話せるのかわからないまま色々話し、すぐに着いてしまう。ひとりで大阪でおりて新大阪へと乗り継いで、個々の記憶があいまいだがちゃんとできていてすごい。お土産を買おうとするとりくろーおじさんは完売で慌てた。目についたミニオンズのお菓子といか焼きの冷凍をぱっと買って、さっと新幹線に飛び乗る。さいわい座れて、『捨てられない紙』を読んで、じんわりよくて、『社会秩序とその変化についての哲学』と『人類の会話のための哲学』を頼りなく行き来しながら、うとうとしだして、諦めてFGO のドラコ―イベントの復刻を進めたり、うとうとしたりしていたらすぐに東京で、電車を乗り継いで家に帰っていると、さっきまで大阪にいたのが信じられないような、むしろ大阪と東京が遠く離れていることが実感できないような心持ちになる。楽しく酔っぱらって帰ってこられる距離。奥さんがお風呂を沸かしてくれているらしい。家につくと好きな人がいて、じつは酔っぱらってるんだ、と白状すると、見ればわかるよ、と応答がある。これが楽しかった、あれが楽しかった、と話しながら寝支度を済ませるとすっかり真夜中だった。
