連日引っ越しの荷造りに追われ、本棚も空にしたから読むものもろくにない。施主チェックに向かう電車で久しぶりに文庫本を開いた。『『百年の孤独』を代わりに読む』。僕が読めない時も誰かが読んでいる。献辞の「あなた」が、本屋へ走るまだ見ぬ「あなた」にまでひらかれている様にまず心打たれる。友田とんさんのマコンド紀行は、『それでも家を買いました』から始まるのだったな、と驚く。それぞれの生活に固有の文脈を不思議に引き受け、巻き込みながら読書はあらわれてくる。『百年の孤独』を読む前、読んだあと、忘れてしまってから、思い出しながら、「代わりに読む」という冗談の真に受け方は、こちらの事情に応じてその姿を変化させていくだろう。引越しを間近に控えたいま、この可笑しな本が伴走してくれるというのはとても愉快だ。
おおむね仕上がっている、とはいえまだ壁の塗装や設備の取り付けが待たれているようすの家を見て、だいたいできあがってる!とはしゃぐ。本棚をめいっぱい誂えてもらって、それらに囲まれながら思わずここに住みたい、と漏らすと笑われた。そりゃ住むために作ってんだもんね。大きな問題はなく、安心。お昼を食べに建築士の方に車を出してもらう。刺身定食をおいしくいただく。奥さんは魚の和風ムニエル。
家に戻る前に自転車屋に寄ってもらい、電動アシスト自転車を見繕う。二人は先に家で作業してもらい、ひとりでラジオを聴きながら整備を待ち、すいすい漕いでいく。すごい。漕ぎ出しの、ぐっという力みがいらない。すーっといく。何者かにふわっと背中を押されるように横断歩道に進んでしまうので怪奇だった。こりゃ楽ちんだ、と思う。作業の邪魔にならないてきとうなところに停めさせてもらう。あと一週間くらい。働きながらじわじわ引越しの準備を片付けていく。次の時評の文芸誌は新居に届く手筈なのだが、郵便受けに入り切るか不安だ。いや、あきらかに『群像』と『文藝』は無理だろう。宅配ボックスは準備してあるが、案内を出していないから誘導は難しいかもしれない。タイミングによっては一週間ほど読み始めが遅れることになる。これまでのペースからすれば問題はなさそうなのだが、すこし不安だ。そもそも新しい住環境で本が読めるようになるまでどれだけかかるだろうか。
帰宅して夕食、荷造りをして、買い出し。だいぶ終わりが見えてきたようでもあるし、まだまだやることが山積みな気もする。よくわからない。疲れて笑顔が減っているらしく、てきぱき理性だけで生産性をあげる人間になってる、最低、と奥さんに悲しまれる。ぐーたらした阿呆でもにこにこしてたほうがいいということだろう。そうでありたい。
