『それでも家を買いました』を代わりに見る 第1章 社宅に入りますか?(1)

インタビューに応じるのは、田中美佐子演じる山村浩子であった。話しているあいまに、あ、どうぞコーヒー、と記者に促す間がいい。このドラマはこのあと、ランチを食べながら話す先輩が、うまいだろこれ、と差し挟む場面もある。何かをしながら話し、行為についてのフィードバックとしてのコメントが横入りしてくるのだが本筋から決定的に脱線するわけではない。そういう台詞運びが目立つ。技巧を見せびらかすようで鼻につくが、たしかに巧い。事情は引き続きよくわからないが、浩子はどうやら物件購入に至る経緯を取材され、語っているらしい。

あれは四年前の春。型通り満開の桜を見上げるショットと重なるのは、空港に画面右側から左に向かって着陸する旅客機の姿である。舞台表現において、下手つまり左側は過去を意味することが多い。このドラマは回想という形で始まることがわかる。

テレビドラマ『それでも家を買いました』が放送されたのは一九九一年四月十九日から六月二十八日までの毎週金曜日。前年に出版された同名ノンフィクションを原作としているのだという。このドラマの放送中に僕は誕生していることになり、当然見ていない。しかし胎内には存在を開始していたという意味で、かろうじてリアルタイム世代ともいえるかもしれない。外気に晒されてからが固有の生であると決められているわけでもあるまい。よく知らないが。バブル景気の終了が一九〇〇年、地価の下落や景気の低下が始まったのは同年秋ごろかららしい。ドラマの放送時にはすでに陰りが見えてきているわけだが、実感としての景気後退はまだ先だっただろう。原作刊行のタイミングからしてバブルの熱狂下での物件購入を記録したものであると予測できる。筑摩文庫に入っているらしく、版元ページの概要にはこうある。

頭金400万円、見学モデルルーム50軒。あの、狂乱の地価高騰の時代に、ある家族が持ち家獲得を目指してくり広げた死闘を“あなた”に追体験させるロールプレイイング・ノンフィクション。マイホームを通して、家族とその周辺の風景をとらえる。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480028426/

ということは、このインタビューを受ける浩子とは、原作の著者であるノンフィクション作家・矢崎葉子の似姿なのだろうか。自身の物件購入の経緯を執筆する作家の営為を、インタビューに答える浩子として換骨奪胎する。書くことは、話すことへ。読まれることは聞かれることへと移し替えられ、それでもなおテレビドラマの視聴者はこのドラマを第一には見ることになる。視聴者なのだから。そういうことなのだろうか。なにはともあれ、ここではまだ判断を保留しておこう。

大学では化学をやっていて、会社には技術者として雇われた。ミステリ小説を書くという「変な趣味」もあり、会社のなかでは「面白い部類だった」。そう妻・浩子に評される山村雄介を演じるのは三上博史。ちなみに作中設定は二十七歳。『『百年の孤独』を代わりに読む』の友田とんは文庫版奥付のプロフィールによると「企業でコンピュータサイエンスの研究者・技術者として勤務」していたとあるから、ドラマ化するなら三上博史がいいかもしれない。

四年前の春それは昭和六十二年、画面にテロップでもそう補足される。平成生まれの僕は幼いころ先行世代はやけに西暦を忌避して昭和で換算しやがる、わかんねえよと心のなかで毒づいていたが、今となってはいよいよわかりづらい。要は一九八七年だから、冒頭のインタビューはまさに放送されている「現在」の出来事である。では、あれはテレビの取材なのか? いや、浩子は発言の合間にちゃっかりポーズを決め、カメラのシャッターを切る音が画面外から聞こえてきていた。だからやはり、取材自体は紙媒体だと考えていいだろう。紙媒体の取材を受ける浩子が回想する内容がテレビドラマとして映像で物語られていくことになるのだろうか。思ったよりややこしい構造の話なのかもしれないと予感しながら、ひとまず画面を注視する。

「ヨーロッパ格安ハネムーンツアー三十万円也」から帰国してその足ですぐ入居したその社宅は「2DK家賃 9000円」とテロップが出る。破格である。この当時の物価はそんなに低いのか?と疑問に思う間もなく、下車した雄介に提示されるタクシー代が一万二百五十円。やはり破格なのだろう。というかひと月の家賃が足代で吹っ飛ぶって何事、ということのほうが気になる。ここですでに現在のわれわれからすればあまりにも異なる住宅事情が窺い知れる。たかだか片道のタクシー代程度の家賃。いや、成田だか羽田だかわからないが、そこから神奈川の社宅に向かうとなると、結構するのだろうか。ロケ地は鶴見だそうだから、羽田からならいまでも六千円くらいだろう。となると成田か。そもそもこの時期は、国際線は成田、という区分けが厳格だったはずだ。だとすれば今のタクシー代で計算すれば三万円くらいだ。だいたいの物価が三倍くらいになっているとすれば、社宅の家賃も三万弱ということになって、まあ社宅ならわからなくはない、というくらいにはなる。運転手に雄介は二万円から払おうとする。細かいのないかと聞かれ「ちょっと待って」とポケットを探るが、やっぱりない。探し方の塩梅が非常によい。なおざりでありつつ、しっかり確かめてもいる。あちこちは探らず、心当たりのポケットを奥までかき混ぜるようなやり方。

新婚旅行帰りで白い帽子を斜めにかぶり、びしっと決めた浩子の姿に社宅の奥様連中が好機の目を向ける。布団叩きの音が不吉に響く。

浩子?

不安で曇る浩子の顔は、聞きなれた男性の声でぱっと晴れる。角田さん! 営業の角田はなれなれしく下の名前を呼び捨てる。かつて神戸の営業部で一緒だったらしい。駆け寄って、抱擁、とまではいかない。ただ角田のセーターの胸元をぐいっとひっぱる。角田は無遠慮に浩子のほっぺたを両手で挟むようにしてくしゃくしゃ触る。その様子に雄介は憮然とする。不愛想に挨拶をし、214に入居したと告げると妙な間がある。
九千円の社宅は広い。引越しサービスで家具の配置まで済んでいる。だからこそ、ハネムーンの荷物だけ持って颯爽と入居できたのだ。冷蔵庫の配置が気に食わないと急かす浩子に対し、「休ませてくれよ」とむすっとしたままの雄介。水道水をぐっと飲み干す。その横顔を見つめていた浩子がほっぺにちゅーしてあげた途端にぱっと目が輝き機嫌が直るのが可愛い。なんなら両肩に手を添えられた時点でほっぺにちゅーを予期してうきうきしているのだから、チャーミングな男である。

同じ棟の住民に挨拶を始めると、ほかを後回しにしてでも桜田さんのところに行ったほうがいいと教わる。

彼女、ドンだから。

ドン?

ボスってこと。

ドン・桜田さんは山村夫妻にコピー紙の束を渡し、細々とした社宅の規則を説明する。やたらに当番が多い。やることが多いのね、と零しながらゴミ収集場を確認し終えた二人の足許に、遊ぶ子供が放ったボールが転がってくる。すいませんね、とフレームインする母親は、社宅の住民でないにも関わらず無断で中庭で子供を遊ばせているらしい。この母親は、夫妻に家賃を尋ねたりと図々しいだけでなく、越してきたその部屋で首つり自殺があったのだと吹き込むものだから、二人の心中は穏やかではない。首吊るとこなんかないじゃない、そう部屋を検分するも、不安は晴れない。

丘の上の社宅から引き揚げて、坂を下った先にあるアパートの一階、そこが母子の住まいである。廊下には粗大ごみだろうか、ガラクタが積みあがっている。ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』に先駆けること二十年弱。高低差で収入格差を表象する場面だ。もしかしたら、山村夫妻がついに物件購入を決断するきっかけは、この一帯を水浸しにするような豪雨なのかもしれない、と僕はすこしだけ不安になる。

カメラは屋内に入る。物が多く、余白が少ない。ソン・ガンホのように顔の四角い夫が木製の飛行機模型を飛ばし、嬉しそうに見守っている。そこで不意に扉が開き、風圧であっさりと墜落する。母子が帰ってきたのだ。見て見て。夫は妻の手を取り、物件情報が印刷されたA4紙の置かれた床面を指し示す。「自由が丘でこの値段」というその物件の価格は一億二千九百万円。庭付きだそうだ。夫は図面に吹けば飛ぶような木工の家具模型を並べて空想にふけるのが趣味らしい。室内にはほかにも木工の玩具が並んでいて、それが夫の自作のものだとわかる。先の飛行機も自作であり、動作確認を行っていたのだろう。四角い顔で、手先が器用なのだ。結婚前はスポーツマンを装っていたのに、筋肉質のオタクっていうのもいるんだよねえ、と妻は残念そうにこの男を見やっている。この立地にしちゃ安いのかもしれないけど、こんな値段、逆立ちしたって買えやしないわよ。そうぼやく妻と子供と三人でじゃれ合っていると夫は放屁する。それを責め立てる妻。夫は抗議する。家族の前でのんびり屁もできないのかよ。

私の実家じゃ誰もしなかったもの。

家ってのはくつろぎの場だろ。

うちが狭いんだから、ひとりだけくつろがないでよね。

はーあ、書斎が欲しいなあ。

おならするために?

ああ、自分の部屋を持ったら思う存分やってやらあ。

生活の気配がにおい立つようなユーモラスなやりとり。三人のあいだにはここで話されているほどの遠慮もなく、気心の知れた親密さが醸し出すゆるやかさがある。対して新婚の山村夫妻は初々しい。日経株価についてのニュースをぼんやり眺める雄介にあすの起床時間を尋ねる。浩子のその何気ない一言で、雄介の顔がにやける。

なんか、夫婦の会話って感じだよな。だんだん結婚したって実感がわいてきた。

浩子、にっこりと笑って再び、

明日何時に起こせばいい?

そう繰り返す可愛い妻の髪をかき上げ、抱き寄せる雄介。これまでもべったりとくっつきあっていた二人だが、いよいよエロい雰囲気が溢れ出してくる。ゆっくりと妻を横たえ、口づけをする。浩子はしっかりと雄介の視線をとらえ、その首に腕をまわし、体をひねり自分が上になるところでカットが切り替わるのがいい。二人のパワーバランスをよく捉えている。次のカットでは二人はすでにベッドに移動しているのだが、ちゃっかりパジャマに着替えている! この省略の小気味よさ。ベッドで睦み合っていると、物音がする。

ラップ音だろうか。

風だよ。

気を取り直して再びいちゃつきだすと、あっと浩子が頓狂な声を上げる。アレがない。アレとはコンドームのことである。雄介は立ち上がり、コンビニ行って買ってくると言う。あたしひとりでこの部屋で待つの? 幽霊が出るかもしれないのに? いや絶対いや!

じゃあ一緒に行くか。

やだ恥ずかしい。

じゃあ俺が留守番してるよ。

や!

じゃあ今夜はよそう。

……いや。

この二人、可愛すぎる!! そう悶えながらすっかりこのドラマにハマっている僕が思い出すのは、 森もり子原作、石浪れんじ作画の青年漫画『セーフセックス』だ。この作品は読切がきっかけで連載化されたのだが、読切版のエピソードがとても好きだ。前戯で盛り上がってきたところでゴムがないことに気がつく優くん。部屋中ひっくり返してゴムを探す男のあわあわした様子が可愛くて気持ちが盛り上がってきた愛ちゃんの方から一緒に買いにいこうと誘うのだった。これまでは『セーフセックス』しか前例がなかったので類型化が難しかったが、『それでも家を買いました』が加わったことにより前戯を中断してコンドームを買いに行く話が好きなのかもしれないという仮説が立ってくる。途中でコンドームがないことに気がついて買いに行くエピソードだけを集めたアンソロジーがあったら買ってしまうだろう。途中でコンドームを買いに出る時間は、パジャマに着替える時間のようにスマートに省略していいものではない。そのようなぽかんとした時間こそ、なんでも少し先の未来に対する期待へと変換できてしまう二人の欲望の強度や質が表面化してくる時間なのである。欲望を中断する人間というのはセクシーで、間抜けで、可愛い。可愛い人が出てくる作品はいい。しかし田中美佐子の可愛らしさがなによりすごい。ちなみに社宅の近所にあるコンビニはミニストップだった。

このシーンが第一話で屈指の名シーンであるのは間違いないが、ここで着目すべきは田中美佐子という俳優が見せる「いや」の発話の多彩さであろう。あらゆるニュアンスが、注意深くコントロールされた声音と音圧によって表現されている。マコンドの開拓史を紐解きながら友田とんが思い出した「海老名、はゼッタイにいや―!!」という浩子の「テレビのスピーカーがうなるほどの大絶叫」への期待は、高まるばかりだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。