2021.03.08(2-p.16)

奥さんは今月に入ってから夕方以降決まって具合が悪そうで、今日も退勤後は頭痛と吐き気を訴え布団の中でじっとしていた。寒暖差と花粉とでじわじわと削られている。エネルギー切れかも、とのことで、とにかく早く何か食べさせてやらないと、と猛然と夕食の支度をする。勢いに乗りすぎて指を切る。血塗りの器で汁物を出してしまった。自律神経は僕もダメだったらしく、手早く料理を終えようとしたら過剰にアドレナリンが放出されたらしく、食べるのも猛然として、何を急いでいるのかわからないが、止まることは不可能だった。その瞬間は料理も摂取も処理すべきタスクとしか感じられなくて、とにかく料理に着手した途端から多動のスイッチが入ってしまったようだった。どうにも止まれなくって、今度は僕が布団に無理やり倒れこんでみた。次第に過剰なスピードと動きに呑まれるようなことはなくなっていったが、これほどまでに言語化の難しい、というか、言語で感情の流れを整理するにはあまりに脈絡を欠いた暴走は初めてにちかく、ふだんであればいくらでも自分の行為に屁理屈を後付けできるのに、今回はとにかく動き出したら止まれなくなった、速さを指向したらそのままその速さに丸ごと巻き込まれたとしか言いようのない事態で、なのでただ無理やりじっとやり過ごすほかやりようがなかった。それでじっと横たわっていても特に行き先のない焦燥感はおさまらず、諦めて部屋を暗くして一時間寝た。起きると動悸が酷く、体が熱っぽい。余計に悪くなった、と思うが、過剰な動きの予感みたいなものは収まっていた。むしろ体のだるさで何もかもが鈍くなっている。今これを書くのも、このくらいであれば二十分も要らないだろうが、今日は一時間ちかくかかっている。とにかく思考や行動の調整弁がバカになっている感じがあって、他人の心配をしている場合ではなかったのかも知れない。もとから体は強くなかったが、加齢につれますます痛感するのは、思考の上では自分の体というのは外界の自然と連動した異物のようなもののように感じるが、その異物のその時々の状態がほかならぬ自分でありこの思考をも規定しているのだという事実で、考えというのは考え自体が考えている以上に身体的だし、感情の起伏も大体は体調が先行している。体という物体のありように理性も感情もそのあり方を決定されているという意味で僕は唯物論的なものに信を置く。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。