ポイエティークRADIOを聴きながら歩き、電車では『革命的半ズボン主義宣言』。のろのろ出勤して、きょうはつけ麺が食べたいな、と考える。編集者って何なんだろうな、とも考える。たぶん、一緒にいて楽しいとか、この人にさすがだと褒めてもらいたいとか、そういうふうに思わせる技術のことなのだろうと思う。要は人をやる気にさせ、さらにはクオリティへの意欲をも高めるような関係を築くということで、そういうのができていない人のためにいい仕事をしようとは思わないだろう。いい仕事をしてもらうためには、いい感じでいなくてはいけない。これはわざわざマネジメントだとかコーチングだとかビジネス用語にしないでも当然そのようであるものだろう。いい感じでいると、いい感じが殖える。それはとてもいい感じだ。
「シットとシッポ」で福尾匠が話していたこと。理論と実践を対置するのがそもそもミスっている。対置すべきはインプットとアウトプットで、つまり認識と実践なのだ。そしてこの両者を架橋するものが理論である。そういう話だった。自分の目が見たものと、自分の手が作ったものとは、ぱっと見では無関係である。だからこそ両者を繋ぐものとしての理論がある。そのような理論をつくったり、つくったものを検討し、乗り越えたり修正したりしていくのもまた、独自の認識と実践のセットである。このような理論をつくる実践のありようを検討したのが『非美学』だったのかな、とすこしだけわかったような気になる。
