具体的な作品が咄嗟には浮かばず、そもそも本当にあるのかもわからないけれど、「失業なりして落ちぶれて公園で鳩に餌をやってる」みたいな表象が陳腐なものであるのってすごいことだなと思う。お金や余裕がなくなっても、人はなにかを与えたい、食べさせてやりたいと感じるし、じっさいそのようにしてかろうじて保たれる何ものかがあるのだという洞察。人間性への楽観がそこにはある。
自分にはどうにもならない困窮に陥った人が、落ち込みながらも公園の鳩に食べ物を分け合うのか、モデルガンかなんかで鳩を撃ち殺して憂さを晴らすのか、そのどちらにリアリティが託されがちかというところから、時代時代の性格というものが透けて見えるだろう。
お昼休みにわざわざ二駅先のラーメン屋に行って、コンビニをはしごするも見つからずドラッグストアでやっと見つけた「ガツン、とみかん」を歩きながら食べて労働に戻る。陽射しがないぶんマシな気もするけれど、蒸し蒸ししているし、まだまだ暑い。口の中が冷たくて気持ちがよく、なんだか呑気な時間だった。
夜はなんだかぐったり。腕立てとプランクをしてごきげんを引き寄せる。チャイがおいしい。
