2025.09.01

体力が落ちている。在宅で仕事を始めて、午前中は布団から労働していた。ふくらはぎのあたりにルドンが居座っていて、温かい。あきらめてすこし昼寝をとっていると、猫は顔の前までやってきて、そこでごろんと寝転がるので、背骨をなぞりあげるように嗅いで、軽く両手で包みながら一緒に寝た。目を覚ますと、ヒトが眠っている間も手の指を両手で掴んで甘噛みしたり、舐めたり、繕ってくれたらしく、てらてら濡れていた。

それにしても疲れる。この暑さの中、家の外に出る勇気が湧かない。日常的な外出の体力も、体操なり筋トレなりしないと取り戻せないのだろうが、なぜ疲れない体を手に入れるには疲れなければいけないのだろうかと納得がいかない。寝ているだけで体力つけよ。夕方にもう眠たくて仕方がなく、あんなに寝たのに、と釈然としない。スーパーに行くのは日が暮れてから。キッチンに立ち、作り置きの南蛮漬けとチャーシュー。チャーシューの茹で汁で今晩のスープを作って、ハンバーグを焼く。大根をたっぷりおろして、夕食。火の前での作業はけっこう消耗するようで、終えると倒れそうだった。体力を取り戻さねば。運動、体操、筋トレ、なんだっていいけれど、自分で自分をメンテナンスしないと日々がままならないというのは、なんなのだろうか。これが加齢なのか。疲れていると、維持や回復で手一杯になって、こだわりみたいなものを徹底する気力が残らない。歳をとると色々気にならなくなるよ、というのは先人がよくいうことがらであったわけだけど、気にならなくなるというよりも、気にすることに回せるだけの気力がそもそも残っていない日が増えるということではなかったか。そんなこと気にしている元気、もうないよ。こちとら毎日で精一杯で、終える頃にはへとへとで、こだわりに使える時間がない。大人にとって時間がないとは、体力がないということだが、こだわりがなくなるというのも、体力がなくなるということだったのだ。病み上がりの体力減退が、放っておいたら回復しないと薄々勘づいているからこそ、体力回復のための体力消耗の億劫さを前に、うげえおげえおぼろろろという気持ちだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。