今期は修行のためにアニメをリアルタイムで二十本弱追いかけているのだが、だいたいは料理や皿洗い、単純作業のついでで流し見程度の消化をしている。連休中に溜まっているのをどんどん見なくちゃなのもあって中断も多かったのだが、たまにこれはちゃんとじっくり見るべきだと思わされるすごいのがある。『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』の第四話がそうだった。
とにかく画面内のオブジェのレイアウトが冴え渡っている。原則フィックスのカメラの前に置かれたヒトとモノの配置が雄弁に関係性を語る。車のマフラー、ハンドル、レバーをそれぞれ同じ大きさの円として捉えるカット三連で幕をあける。ここですでに全編を通して円というモチーフの変奏が予感される。人物は後ろから車中を捉える四カット目でようやく登場するのだが、顔が映るのは画面奥の運転席と助手席に座る二人だけで、画面の大半は後部座席に並ぶ三人の後頭部——円がここまでのカット数と同数に増殖している——によって占められている。この始めの四カットで、円というモチーフ、発話するメインの人物の居場所は手前側に配置されたものによって非常に控えめなスペースに規定されていくという全体のトーンが準備されるのである。マニュアル車を運転するあかねに対しいぶきが言う、格好いい、と。ここのカットではあかねが握るハンドルが画面の左側からほぼ全面にわたって映されているのだが、ハンドルの曲線が画面右端に映る助手席のいぶきと、このあといぶきにいいところを見せたくて運転を替わると言い出す郡上先輩の二人をきっぱりと分断している。そのくせ、後続のシーンで神社でひとり抜け出すいぶきを追いかけるぼたんは、土産物屋の柱による分断線をいとも簡単に超えてみせるのである。カメラの位置とオブジェの配置によるレイアウトそれ自体が、踏み越えられないまま失恋する郡上先輩と、あっさりと境界を超えて親密圏に入り込むぼたんとの対比を非言語的に明示する。さらには同じく画面の右端のスペースだけを残してほとんどを占有する看板に追い立てられるように並んで歩くいぶきとかえでのカット、縁結びの社の組み木が四つに分割するスペース左端の縦長の極小のスペースで向かい合うカットなど、執拗に手前側のオブジェによる分断線の内外を反復していく。
鮮やかな場面転換のあと、郡上先輩とぼたんがふたりでゲームに興じるエピソードに移行するのだが、車内と同様に狭い室内でも手前に物を置く構図が続き画面にメリハリがある。この部屋では、ゲーム機本体の中央のソフトを入れる部分の凹凸、かえでが余らせた缶チューハイの缶など、ふたりを繋ぐオブジェだけが円く、ふたりの配置を規定するオブジェは、ゲームソフトの箱、冷蔵庫、本棚の本など四角いものが目立つ。これが、第三の川越の足湯のエピソードで現れる和傘の円さ——視聴者と人物を隔てる——とペディキュアの瓶の長方形——ぼたんといぶきの縁を結ぶ——との対比をなしていく。などなど、キリがないのでそろそろ止すが、とにかく画面手前側に置かれるものの大きさや形状、それによって変調をきたす空間の印象、それだけでほとんどすべてを語り尽くしてしまうような画づくりの格好よさに感心しっぱなしだった。
ものすごくぬるぬる動くというわけではない。そういうカットもあるが、むしろ人物の顔をつぶすくらいに小さく画面端に追い込む構図は動かすべきものの数を節約する効果もありそうだ。そのような合理性と演出効果の均衡がものすごく美しい回だったと思った。
これはいったいどんな人の仕事なのだろうと調べてみるとこうある。
絵コンテ:戸澤俊太郎
演出:牧野秀則
作画監督: 井川典恵
https://note.com/kamiina_anime/n/n0f326039e18d#5ccb96e6-b9ae-40be-938e-c9c35825851c
このアニメはそもそも各話ごとに絵柄さえもちがうほどで、あからさまにスタッフワークをこそ提示する作品なのだそうだ。明らかにテイストがちがった三話は絵コンテと作画監督をひとりが兼ねていて、だからこの画面の雄弁さがどのセクションの仕事によってこそ定められているのかが門外漢にはわからない。構図を決めるのは絵コンテ? 演出? それとも監督? そもそも監督と演出の違いってなんだ。演劇には演出しかいないし、カントクがそういう役割を担う文化はMANKAIカンパニーにしかいない。アニメの制作の工程や役割分担については『エビス映造所で会いましょう。』で得た知識くらいしかない。もっと勉強したい、この画面を決定している人の仕事を掘ったり追いかけたりしたいと思わされるに充分なすごい回だった。
ちなみに僕がアニメ修行をしたいと思いたったきっかけであり、この数年勝手に私淑——私淑とはそう言うものだ——しているのが東條慎生、人間が大好きという先達のお二人なのだが、この日記を書き出す前に人間が大好きさんの日記を読んでしまった。基本的に一週間に一回、自分もあらかたアニメを見た後に師の目をトレースするようにして読んでいるのだが、やはり流石の鑑賞眼で、やはりまだまだ及ばないなと嬉しく思った。僕が描きたくなった箇所などほとんど全部すでに見事に文章化されていて、さらには見えていないところまで書かれていた。ぼたんがいぶき先輩の舌が欲しいように僕はこの目が欲しいものだと思う。だからこそ僕もまだ書かれていなさそうなことをちょっとでも書かなくてはと奮い立たされた。
そもそも人間が大好きさんは文章力がすごい。該当の回を《運動ではなく構図で全て語りたい、構図全部に意味を持たせたいという願望を満たしてくれるような映像だった。1》と端的なまとめる手腕。目だけでなく耳もすごくて《消灯のスイッチを切る音(たしか他の部屋ではリモコン式だったのに、映像のために嘘をつく嬉しさがある)》というところなどは僕はまったく気が付かなかった。格好いい先達がいるのはいい。やはり修行あるのみ。
