『ディスコミュニケーションの心理学』。そもそも本書におけるディスコミュニケーションという和製英語の定義から説明するべきだろう。とりいそぎ、それはある特定の視点から見たとき、ズレが現れている状態であるとされている。つまり、ディスコミュニケーションはコミュニケーションの打ち止めや破綻ではない。すくなくともコミュニケーションは続いている。そのうえで、当事者間でそのコミュニケーションの成否の判断にズレが——顕在的にせよ潜在的にせよ——存在する状態を指す。
コミュニケーションは、主体同士が働きかけ、同時に働きかけられるという能動=受動の二重性をもつ対の関係である。主体間での相互作用にズレが生じている事態をどのように記述していくことができるか。
編者の山本は第9章で拡張された媒介構造(EMS)という分析枠組みを提示する。それは以下のような主体、対象、規範的媒介項という三つの要素からなる構造である。主体Aが対象aを介して主体Bに働きかける。対象aは言葉やモノ、振る舞いなどの媒介である。これを受けた主体Bは、対象aに込められた意味内容を解釈し、対象bを媒介として応答する。それぞれの主体が対象に込められた意図をどう解釈しどう行為するのかは、ルールや慣習、モラルやセンスといった第三項によって方向づけられ制約されるが、この第三項のことを規範的媒介項とよぶ。このように主体、対象、規範的媒介項という三つの道具立てを図式化したものがEMSである。
このうち、規範的媒介項は、二者のコミュニケーションのズレが潜在化しているあいだは意識されない。主体のいずれかあるいは観察者がズレを認識し、調整の必要を感じたさいに初めて意識に現れるものである。ふだんは個人として人それぞれという価値判断のもと生活していたとしても、あまりに自明のものとしている規範に反する行為に遭遇したとき、人は苛立ち、狼狽える。不愉快な状態の解決を試行しながら、自らの規範を正当化する必要を感じ、規範を共有する個体を越えた上位の主体(家族や友人から国家、宗教、世界観まで)への帰属感を強めるだろう。そしてズレの原因をいずれかの逸脱行為として看做し、矯正や排除によってEMSの安定性を保つという方法がある。あの党の支持者は、あの国の人間は、ああいう思想信条の人は、別の生き物だから何を言っても無駄—— このとき、何を逸脱行為とするのかという規範じたいは揺るがず維持される。しかし、コミュニケーションの相互作用はそこで消尽に至るだろう。そうならないように、ズレの原因をどちらか一方の逸脱として片付けるのではなく、お互い様とすることもあるかもしれない。そうだとしても、規範じたいはそのままの形で残る。
あるいは、そもそも両者で規範的媒介項じたいがズレている場合がある。このとき、ズレを克服するためにはどちらか一方の規範の優越性を主張し暴力的に包摂・排除することで再構造化をはかる道と、両者を統合するようなメタ的な規範的媒介項を生成するよう努める道とがありうる。前者はけっきょく前段で描いた相互作用の消尽をもたらすから、望ましいのは後者だろう。
このようにEMSという枠組みを通すことで、ディスコミュニケーションを①主体間の相互作用の不全感の自覚、②意図や解釈のズレの顕在化、③問題となる構造が特定・理解され、④不全感を解消する再構造化へと至る一連のプロセスとして記述できるようになる。EMSの要素と構造は所与のものではない。コミュニケーションのズレの克服を試行するとき、主体、対象、規範的媒介項という各要素とともにEMSの構造が生成されるのだ。EMSの記述による把握は、互いの規範を相対化し、あるいは相互不信と排除のメカニズムを可視化することで、とりあえずの共存へのプロセスを開始する助けになるだろう。
このようなEMSの枠組みは、《バラバラな世界をバラバラなまま繋げるための思考》の可能性を検討する『内在的多様性批判』と接続させてみると面白そうだ。次の読書の予定は変更されて、久保が再読されるだろう。
