2021.06.14(2-p.53)

昨日の日記は今日の14時半に書きはじめて14時45分に公開した。翌日の午前中に書かずに忘れたままでいるのは初めてのことだった。もしくは前にもあったがそのことを忘れているので初めてのような気がしている。仕事の予定でさえメモしておかないと忘れるのだからたいへんなことだ。高校から大学にかけての記憶がほとんどなくて人に嘘を教えられたらそのまま信じかねない。奥さんとの思い出も奥さんに言われた通りに覚えているからどこまで本当か。奥さんの学生時代の思い出話も下手すると自分のエピソードとして話しかねない。それでもたとえば牧野ヶ池緑地──青色のニョロニョロみたいな遊具が森博嗣の写真付きショートショートにも出てくる──の駐車場で出くわしたカマキリの大きかったこと、別の大きな公園のいくつもの丸太を飛び移っていく遊具の合間に前日の雨を吸って膨らんだエロ漫画雑誌が落ちていて開かれていたページで吸われていたおっぱいが大き過ぎて怖かったこと、そもそもおっさんがおっぱいを吸っているという自体がわけわからなすぎてそれが一番怖かったこと、風の強い日に砂場で風下に立つ友達が絶対に砂をかけるなよと言うのでダチョウ倶楽部だと思って張り切りなるべくたくさんの砂を舞い上げて風に乗ったそれが友達にかかるのを面白がっていたらいつまでも泣き止まないで先生に怒られて納得がいかなかったのとか、そういうことははっきりと覚えている。

きょうは中学三年の春休みだから十二のころ、卒業旅行と称してひとりで夜行バスに乗って京都に行った。名古屋から当時は確か二千円とかだったんじゃないか。まだ夜も明けない時間帯に京都駅に着いて、そうあのころはまだ規制が緩くてふつうに駅前までバスが乗り入れていた。それでどこも開いていないし開いていてもお金もないから鴨川まで歩いていくうちに日は昇るのだけど小雨が降っていて橋の下で寝そべっているとそのまま眠ってしまって気がつけば一〇時くらいで、そうやって野外でぐっすり眠れたことが嬉しかった。スペースネコ穴はその頃はまだ祇園の坂の上にあってでも昼間に行っても無人でしかたなく勝手に上がってつげ義春を読んで帰ったり、京大に潜り込んで自販機で買ったジュースを構内でちびちび飲みながら、いま思えばどこからどう見ても迷い込んだガキでしかないのだけど当時はもしかしたら京大生にまちがわれてるかもなとソワソワしていた。そうやってろくにお金も使わずに遊べるのが僕は楽しくて、そういうことを思い出していた。そうすると自然と大学四年のおわりに韓国に行ったことも思い出す。その時も弘大で美大に忍び込んで自販機で買ったドクターペッパーか何かを喫煙所でちびちびやっているのとか、たぶん漢江の河原の体操器具で運動する年寄りを眺めたりとか、お金を使わずに充実していた瞬間をどんどん思い出す。またああいうことがしたいなあ、と思いながら、奥さんの学生時代の場当たり的でとんでもない旅行の話を聞いて嬉しくなったりしている。こういう話をするときみんな嬉しそうだし聞く方も嬉しくなる。父親は大学だか就職後だか、とにかく上京してた頃に地元の友達にいま遊んでるんでるんだけど来る? と電話が来て、おお行く行く〜と新幹線に乗って本当に遊びに行ってまた下宿に帰ってきた話を何度かしてくれたことがあり、そのたびに心底愉快そうな顔をしていた。いや、地元に帰った後に東京の友達に誘われたんだったかもしれない。結局はこういうエピソードも細部どころかお大枠からして間違えて覚えていることも多いが、肝心なのはそこで語られているのはどういう動きで、それを聞いてどんな気分が掻き立てられるかということであって、細かいことは──じっさいそれが細かいことでなくとも──どうでもいい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。