2022.08.15

午前中に漢方薬の補充に町に出る。片道3000歩程度で汗だく。セブンでカレーを買って帰る。先日のお昼にもカレーフェスの品物を楽しんだが、そのとき買わなかったデリーとエリックサウスを今日はレジに。奥さんと二人でデリーのカレーをはふはふと食べる。確かに辛いが、美味しい辛さで痛みになるほどではない。黒胡椒だろうか、エチオピアのカレーともどこか通ずる味わいで、今回のセブンの企画品の中ではいちばん好きな味。辛いけど、辛すぎるということはないねえ、美味しいねえ、と奥さんと評しながら半分ずつぺろり。ただこれをお店で一杯ずつ食べるとなると随分辛そうだ。エリックサウスのビリヤニはきのう本物を食べたばかりだから、マスに向けたブランディングというか、未知のスパイスへの入門としてどこまで最大公約数的な既知の情報を取り入れるか、その苦心の跡が読み取れるようで面白い。クローブが前面にきていて、お店のものと強調するスパイスもずいぶん違うものだね、と感心していた。

日差しを浴びて疲れてしまったのか、午後はたっぷり昼寝。その前後は水中書店で買った『哲学の誤配』を読んでいた。同時発売だった黒い方とまとめて買ったのだけど、僕にとって今の東浩紀は中小企業の経営者でもあるから、新刊で買ってあげればよかったな、と思う。友の会を自動更新に切り替える。ビジネスというのは、軽薄でいい。全面同意でなくとも、消費はできる。感情には部分否定がない。けれどもお金は感情と関係なく使うことができる。僕はゲンロンにお金を落としながら、その思想と実践のある面を肯定している。東浩紀の思想は中間管理職的だと思う。僕はそこに自らの問題意識を重ねている。

保守と革新、上司と部下、本部と現場。そうした二項対立での思考法の限界を感じているというか、どちらか一方を敵と見做して抗戦するというあり方に魅力を感じなくなってきた。僕自身、中間管理職になったから。いつまでも下っ端気取って威勢のいいクダを巻くのもダサいし、かといって決定権があるわけでもない。下からは疎んじられ、突き上げられる。上からは絞られ、吊し上げられる。両極のどちらの立場かに居直ることもできない半端さで「あいだ」に居るほかない。この割り切れなさに耐えること。実は大多数の人はどこか中間管理職的であって、極端への振り切れなさを持っている。だからこそ、そうした中途半端さから逃れたくて自分や他人をどちらかの極に置いて安定を獲得したくなるのかもしれない。ある立場を共有しているとされる内輪で起こる原理主義的な狭量さの発露というのは「思考を節約できる今の立場の安定を揺るがすな」という気持ちが引き起こしている部分もありそうだと思う。誰しも、考えることをサボりたい。一度こうと決めたらずっとそれでやっていきたい。そういうズボラさが誰にでもある。それでも、個別具体的な状況への対処、煮え切らない程度問題として一個一個に取り組むこと、そういう地味で、面白味のない仕事を引き受けなくてはいけない。誰もが成熟を恐れ、こうした泥臭い仕事の責任を避けて、失敗しない「正しさ」の論理を構築することだけに拘泥しがちだからこそ、なんでも自分でやってみる、というパンクスの精神で痩せ我慢することの重さが増す。めんどくせえな。

夕方からは渋谷でマチネを観ていた両親と祖母そして妹と合流して、妹夫妻の家にお邪魔する。妹の夫の気遣いの細やかさ。でんと構える妹と好対照だ。両親もこれから新幹線で帰るということで、横浜の祖母はひとり東横線と根岸線を乗り継いでいくことになりそうだった。両親が乗り換えまでは送っていくつもりだったようだけど、新幹線の乗り継ぎを考えると二度手間だし、僕が送っていくことにする。ついでに泊まっていこう。急行は混んでいそうなので各駅で座って帰る。菊名で両親とは解散。祖母はこんなに遠かったっけ、と何度も首を傾げた。急行の方がよかったかもしれない。根岸線でもなんとか空席を確保できてよかった。祖母を座らせて、誰かの助けになるように動くというのは、自分の疲れや利己心を丁度よく抑制してくれるものだな、と思う。ひとりでいると自分のことだけでいいから表出しがちな狭量な負けず嫌いが、誰かを気遣っているうちは発揮されずに済むということかもしれない。

夕食とお風呂のあと、ハーゲンダッツを食べて二階に。母が購読していたのであろう『SCREEN』のバックナンバーを適当に引き出すと手塚治虫の『スーパーマン』評が載っていて、手塚治虫は特撮の技量や、その不足を補うコマ落としなどを駆使したリズミカルな編集を評価していた。『スーパーマン』の製作費はずいぶん潤沢だったようで、当時の贅を尽くしたらしい。末尾に「結局これは「スター・ウォーズ」なんかとはケタちがいに製作費をぶちこんだだけの超ド級映画にはちがいないのである。」とある。このころの感覚はよくわからないが、『スター・ウォーズ』は超大作というよりは低予算映画みたいな扱いだったのだろうか。手塚治虫はどのように観たのだろう、貧乏くささを感じたりしたのだろうか。気になるところだ。次第に眠たくなって横になる。横になると目が冴えて、日記。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。