2022.09.12

眠たくて仕方がない。いちおう起きはしたのだが、コーヒーを飲んで亀を洗ったらもう限界で、午前中にさっそく一時間くらい昼寝した。でもまだあと三時間は寝たい。仕事があるからそうはいかなかった。きのうは結局お出かけしてしまったし、家でごろごろしていれば回復したかというとそういう感じでもなく、とにかく頭が重い。外界と自分との間に靄がかかったようで、何をしても手ごたえがないし、頭がはたらかない。人はふつうは考え事などしない、動物のように反射と習慣でなんとなく生きていけてしまうもので、むしろ下手に考え出してしまうと最悪のばあい命取りにさえなるのだ、という言説をツイッターで見かけて、その通りだとは思うし、今日の僕はほんとうに思考とは無縁の生き物だが、それは僕には退屈で苦しいことだった。僕にとって僕とはほとんど言葉で、声だろうが文字であろうが体の外で形になったものに限らずつねに何事か考えられている、それはほとんど言葉の姿をしているが、しかしじっさいはその手前の茫漠とした塊のようなものだ。言葉のようで言葉になっていないぼんやりとした塊。その塊が僕だった。きょうはその塊がいつも以上にでろでろに溶けてしまって、情けない水っぽさで垂れ流しになっている。

大学生のころはアパートに洗濯機がなく、週に一回コインランドリーに行ったのだが、体調がこんなふうなとき、コインランドリーの名前がマジックででかでかと書かれて置いてある『漫画ゴラク』の下世話な漫画とかを白々と読むのがちょうどよかったのを思い出し、僕は今ああいうコテコテの有害図書を読み流したいかもしれない、最近はコンビニでも見かけることが少なくなった実話誌や、週刊誌の下品なつり革広告は今でも嫌悪と軽蔑の対象だが、流体化している動物の今、ああいう下世話な勘繰りや、欲求不満に駆動される情念みたいなものしか受け付けない状態というのも理解できる。実話誌の実話は「実際にあった話」ではなく「実のある話」なのだといつだか読んだか聴いた覚えがあるのだが、ここでいう「実」とは即物的な社会によって構成された単線的な生理に過ぎないからすごい。頭の中が濁り、思考がでろでろに吹き溜まりをつくっているようなとき、その底抜けの単純さが染みたりする。何も感じず、何も考えず、ただただ生理に近い部分への刺激だけを感受する。コインランドリーの粉洗剤の匂いが乾燥機の熱風でより強まって鼻腔に襲い掛かる。その情景を思い出していた。男も女も無駄に脱ぐ漫画は、線がどれも力強く、トーンがギトギトに貼られていてたくましかった。このしょうもなさに大真面目にペン入れするプロの仕事を思うと、人の世がくだらないものに見えてきて、いろいろとどうでもよくなっていく。そうやってとことん虚無になっていくことで救われる気持ちもあった。僕はいま『漫画ゴラク』みたいなやつが読みたい。最小限の吹き出しの中の文字すらほとんど読み飛ばし、脈絡もそこそこに挿入されるエロいコマだけをザッピングするようにページをやっつけていく。景気がよくて笑える。明るい。だんだん下品さと豪快さの楽しさよりも、古くて粗野な男性性のつらさのほうが優勢になってきて、こんなの読めねえ、と思えてくる。元気になった証拠だ。

ジャンプのアプリを開いてなんとなく読み始めた『正反対の君と僕』という漫画がとてもとてもよくて、あらゆる個人の気遣いと敬意と優しさにほろほろくる。なんだろうこれは、とてもいい漫画だなあ、と思って、ふと思い出したが、これはフヅクエの読書日記に出てきてたやつかもしれない。メルマガを読んだ時はスルーしてたし、タイトルも忘れていたつもりだけれど、どこかで覚えていたのかもしれない。ゴラクからの温度差にグッピーが死ぬ。平くんの素直な面倒さがかわいい。山田もバカでかわいい。自分が高校生のころは苦手だったけれど、いまは鈴木さんや山田の明るさがとても素敵だと思う。人との交感の媒介として使用される言葉のあり方と、その解釈を巡るあれこれの描き方がとても上手で、自分のことを相手に伝えるという行為の楽しさやもどかしさが綺麗に漫画になっていて、すばらしいなあ!と思う。恋愛だけじゃなくて、平くんのぼやきとか、九話の西さんのエピソードとか、そうか自分は羨ましかったんだ、と自覚して晴れやかになりかけた次の瞬間には自己嫌悪に陥る思考の流れとか、とても鮮やかで、西さんはそのあとすぐに恋愛文脈に回収されはしてしまうのだけど、ホンちゃんもいいやつだし、山田がたどり着いたド直球がほんとうにすごい。『ハイキュー‼︎』の田中先輩を感じる。すごく格好いい。僕はほんとうにすぐに泣く。なによりもまっすぐな素朴さに泣く。この前サウナで流れていた高校生クイズの特番でもすこし泣きそうだった。若さが羨ましいのかもしれない。何もかもが足りないけれど、だからこそ気持ちだけは持て余すほど豊かな時期。その切実な洒落にならなさを忘れて他人事として消費できるような愚劣な大人に成り下がったのかもしれない。僕はしかし昔からラブコメが好きだったな。『ラブ☆コン』とか『のだめカンタービレ』とか『同級生』とか。いいなあ、漫画は面白いなあ。すごい漫画がたくさんある。

奥さんは僕の不調を心配して退勤後の夕食、ストレッチ、お風呂、就寝のタイムスケジュールを組んで提案してくれた。最近は日記は日付を越えてから書くことも多い。きょうは23時半には就寝の予定で、その一時間前にはブルーライトを避けなくてはいけないので、日記もはやめに書く必要がある。こういう思いやりが強めに染みるのも、漫画を読んで感傷的になっているからかもしれない。なんだろう、いつもありがとう……ありがとうね……

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。