社会が暗いのは前髪が鬱陶しいからでは? あなたはいつも髪切ると世界ってこんなに明るかったんだ! って言うよ。
昨日の日記を読んだ奥さんが言う。僕の社会は前髪なのかもしれない。今日は前髪をあげてみる。
ほら、日射しがやらかい。
青木さんが『雑談・オブ・ザ・デッド』を読んでくれているらしい。この本を作ったのは僕としてはとても大きくて「これ自分としては最高に面白い本なんだけど、売れないだろうなあ」と思いながら作った本で、じっさいに売れてないし感想もほとんど見つからない。それでも満足しているから、自分は頑固さやヘンテコさを貫けるという自信になってる。
前に青木さんやあぞさんと録音した時に「自分はいつの間にか他人からの評価やニーズに自分を明け渡しているのではないか」と不安になっていて、その時期はじつは『雑談・オブ・ザ・デッド』の売り出しと重なっているのだけど、じっさい売れ行きという意味で「失敗」したと結果が出たとき、けろりと気持ちが晴れたのだ。
勝手に自分で作ってる本なのだから、暴投やスベりを恐れずに、内発的なやむにやまれぬものに突き動かされるように謎なもの、異形なもの、従来の分類や評価体系にフィットしないものを作った方が楽しいのだと、売れなくて最高に面白い本を作ってようやく自分に納得させられた感じがある。
僕って中途半端に人当たりよくて所作も穏やかで仕事もそこそこできるから、自分でも騙されちゃうんだけど、かなり頑固で偏ってる。「自分の作ったものが他人からどういう反応が引き出すか」の予想が立てられるからといって、制作の現場に他人の反応なんかを持ち込まない方が絶対にいいものが作れる。
自分でなんか作ろうと考えてるなら、とにかく他人のいうことに耳を貸さないことが大事。すくなくとも僕はそうだ。
とはいえ、売れたほうが楽しいし、本屋さんも嬉しいし、制作費を回収できたらまた本が作れるし、売れなさそうな本をどう売ってくかを考えるのは、制作とはまた別の頭で考えていきたいところ。制作はつとめて内発的に、売るときは別の思考法で届け方を工夫する。そういう両輪でやっていきたい。
売れなくて最高に面白い本を作る欠点は、次の本を作る体力──在庫を置くスペース、印刷費──の回復が遅くなること。これはどんどん作っていきたいときに困ることではあるので、好き勝手作るためにもそこそこ売っていく活動にも力を入れないといけないし、そもそも好きなものを誰かに売るというのはそれはそれで楽しいことだから、やっていきたい。先に「失敗」と書いたけれど本は待ってくれるので、時間をかけて売っていけばいいだけで、初動の鈍さをせっかちに「失敗」としないほうがいい。上のようなことをツイートしたら何冊か売れた手ごたえがあるし、たゆまずしつこくアピールすることは続けていこうと思う。
本を作ったり売ったりすることを考えるのはなんだかんだでいつでも楽しい気持ちになるからすごくいい。自分の手を動かしておいたほうがヘルシーだ。
