朝ごはんにコンビニでおにぎりを買った。おにぎりは久しぶりだった。おかかやシーチキンが130円とかして、印象が100円で止まっていたのでギョッとした。値上げ自体はいい。それが賃金に反映されていればの話だが。
主に男性が女性に対して付与する紋切り型のイメージ。「傘持ったの!」とおせっかいを焼く母親、「ちょっと男子!」と素行を咎めてくる女子のイメージに託されている疎ましさの感覚は、自ら率先して管理されにいく愚かさへの反発のつもりだったのだろうが、彼女たちが試みていたのはむしろ自治であり、既存の権力構造に鈍感なまま、無頼漢のつもりで誰よりも保護者や教師の庇護を無根拠に前提とした甘えでしかない。自らの構造的な優位に無自覚なまま反抗の身振りにロマンチックな陶酔を求める幼稚さ。年長者や教師や親など、わかりやすい権威にしか権力を読み取れないから、つねに被害者意識や英雄心に酔っぱらいながら反抗の身振りを示すばかりで、誰もが権力をもちうる関係の網目のありようには注意を払えない。そのくせわかりやすい権威に対する憧憬もあるので──自己イメージとしては反抗は常に復讐劇あるいは英雄譚なので、名誉の奪還こそが終着点である──容易に権威におもねる側に転ぶ。最後は偉大な父たる王様に褒めてもらってめでたしというわけだ。
小学生男子の目線であれば、母親や女子たちは権力の側にあるように感じられたのかもしれない。彼らが求めているのはただ自治を志向しないでたらめなエネルギーの発散であるからだ。このような校庭で教室でとにかく暴れまわりたいというメンタリティのまま歳をとれてしまうのが男性というジェンダーである。「幼児的万能感の抜けきらない”子ども大人”」はどれだけ力を手にしたとしても、不服そうに周囲に喚き散らす。ただ壊すことしかできない。その痴態を目にするたびに僕はげんなりする。
反骨のような態度が、かなり注意しないとあっさりダサい現状追認にしかなりえないのが今だ。どれだけ弱い立場にあるとされている人の側にも権力は生じうる。おのおのが自らの権力を自覚し、権力即悪という短絡を相対化しながら付き合い方を考えていくほかない。権力は、どうしたって誰にでもある。権力の否定ではなく、その配置の絶え間ない修正が問われている。だから「えらそう」みたいな反発は間違っている。全方位から「えらそう」に見えない人など誰もいない。ある方面での「えらそう」さが、全体を鳥瞰したときに明示される「えらそう」の偏りを是正することもある。問題なのは「えらそう」のありかの固着だ。これからの権力は流動的に偏在しなえればいけない。マスの「えらそう」も、局所的な「えらそう」も、常に移ろい、状況によって持ち主が変わるような仕組みを整えていくほかないのではないかと思う。
キャラをブレブレにブラせ、ということかもしれない。ある場所のある状況ではクズで、同じ場所のある方面では尊敬を集める、別の場所でも同じようにすごかったりダメだったりする。そのように分散した自己イメージを統合させることなく並走させること。
出社しての労働が嫌すぎて、仏頂面で各種SNS でだらだら書くのが止まらなかった。SNS での短文の連打は立て続けに煙草を吸うようなもの。健康に悪いからやめましょう。しかし健康に抗ってはいけないのだろうか。健康というものが否定しようのない、なによりも優先されるべきものとして強権を支えることを見過ごしてしまったような居心地の悪さがじっとりと張り付いたままでいる。
