2023.08.28

昨晩はイベントの興奮もあったのだろうか、よく寝付けず朝からずっと眠かった。さっきは風呂で本を読んでいたらうとうとしてしまって浴槽にぽちゃんと落っことした。紙の本でなくてよかった。Kindle の防水性は証明された。『鉄鼠の檻』を読んでいて、小学生のころ登場する僧たちの名前の格好よさに痺れてぼくの考えた最強の僧が平安の都に跋扈する魑魅魍魎と対決する小説を書いていたことが急に思い出された。もちろん安倍晴明にも夢中になって、夢枕獏よりも加門七海『晴明。』が面白かった。内容は覚えていないが講談社ノベルスのような判型で、京極夏彦並に分厚かったからだと思う。

日に七度くらいは奥さんに「かわいいね」と声をかけるのだが、それがもう九年弱も続くとけろりとした顔で、もうすっかり言われ慣れちゃった、などと言う。もはやあなたの「かわいい」は「やばい」と同じようにあまりに多義的で便利にすぎる語となっている、そんな十徳ナイフのような語でなにかを誉めた気になってもらっては困る、もっと言葉を尽くして事象を分解してもらわないと、というようなことまで言った。こうなってくると喋ったり書いたりするときにいかに自分が語を節約しているかがよくわかるし、いちど圧縮したものをいまいちど内容のあるものとして展開し直すことの困難も見えてくる。しかしやはり大事なのはここで、自明のこととして端的に整理し終えてしまったことごとを、その豊かさを損ねることなく冗長さのほうへと引き戻していく作業こそがいま試みられるべきだろうなという予感がある。なので、つい「かわいい」と言ってしまったときは、いまの「かわいい」の意味するところは、と注釈を付すように心掛けている。

今日はいちにち調子が上がらず、奥さんとスーパーに行く遊びをした。ふたりで買い物をするのは珍しく、だいたいどちらかが請け負うので新鮮だ。僕は昔から人とスーパーで買い物するのが好きだ。なんとなくうきうきする。学生時代に誰かの家に泊まったりするとき、鍋の具材なんかをだらだら並び歩きながら無責任にカゴに放り込むときのくすぐったさ。僕はいまだにどこか生活というものをああいう浮き足だったままごとのようなものとして考えている節がある。なにをしていても、日々は玩具みたいだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。