2023.08.29

左手の一筋のやけどがだんだんと茶色くなってきた。メイラード反応だ。もうこの体も古くなってきているから、跡が残るかもしれない。なんならずっとこんがりしたままかもしれない。せっかくの奇麗な手なのに、と奥さんは冗談めかしていったけれど、年々じぶんの修繕の間に合わなさを思う。暑くて上を脱ぐと瘦せたと思う。この一二年は体ががっしりしてきて、おお、これが加齢というものか、ようやく食べた分だけ肉がついて落ちにくくなったのだなあと感心していたのだけれど、この数日で一気に減ってこれまでとあまり変わらない体型にまで戻ってしまった。久しぶりにダンベルで運動をおこなって、お昼は意識的にがつがつ食べた。まだまだ僕は可塑的らしい。ちょっとした用事で外に出たとき、うっかり日傘を忘れてしまったが、ずいぶんと日射の凶暴さは和らいだような気もする。茸もおいしいし、コンビニの甘味も秋めいてきた。

帰りに近所の本屋で『3月のライオン』を買う。特典付きと迷ったけれどエコバックは足りているので普通のにした。14巻くらいからざっと目を通すだけで涙ぐんでしまう。16巻の奥付を見るとじつに二年ぶりらしい。もう連載してどれほどだろう。大学生の頃にはもう始まっていたはずで、洗濯機もなくコンロもぐるぐるのが一つしかない六畳間に住んでいたころ、梅ヶ丘のコインランドリーでやたら柔らかそうな女の人ばかりが表紙を飾るヤングアニマルを読んでいた記憶がある。こちらの時間のせっかちさに構わず大河の流れのように遅々とした時間。それでいったら小学生の頃からやってる『よつばと!』はようやく夏から秋に移ったところだ。漫画というのはすごい。こちらが子供の頃からずっと同じような時間をつくっているというのは、それだけで迫力がある。作家の上にも人が小学生から壮年になるまでの時間が経っているわけで、なんだか信じられない。子供の頃に触れたものは、その感性も子供のままであるような錯覚があり、だからいつの間にか作家よりも歳をとってしまっているような妙な感覚さえある。

京極堂はしかしこちらの成長に応じて大人びた物語のように感じられる。『絡新婦の理』のオープニングを読み乍ら、小学生の僕のまわりの冴えない男子たちは、妙に「傍観者」という言葉にときめきを持っていたなと思い出す。これはどちらかというと西尾維新の戯言のせいだろうが、あのころ弁だけが立つクソガキたちどもをときめかせていた斜に構える匿名掲示板文化的スタンスを、いまだにそこに出自を持つ男が流布しているというのもまた文化的成熟の感じられないお粗末な話だと思う。しかし、いつの世も小賢しい子供たちの愚かしさというのはその程度ということかもしれないし、技術的合理性はそのような愚かしさといつだって親和的だ。まったくじじいの繰り言めいてきた。

左手の甲にある茶色い線は、いつのまにか瘡蓋めいてきて破線になっていた。このままけろりと消えていくのだろう。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。