首を寝違えてつらい。カビゴン的には百点満点の睡眠。こいつは量しか見ていない。fitbitもどきは82点とのことで、寝違えに睡眠の質は関係ないのかも知れない。奥さんに京極堂の一節を紹介して以来、「書痴」ということばがちょっとしたブームだ。トイレでも風呂でもキッチンでも読んでいるので、その姿を認めるたびに書痴と呼ばれる。まんざらでもないことだ。京極堂は夢中で読んでしまってじぶんでも呆れる、というと、いやあなたはいつだって大概です、と返される。むしろいまみたいにシリーズものを一気読みしている方が自然で、ふだんのように全然べつのジャンルのものをいくつも並行して濫読しているほうが異常であると。
いちおうノートくらい作っておくかと『文學界』を読み返していたらけっきょく全寄稿について引用とコメントを行うことになった。三度四度と再読しているとほんの数枚のエッセイですら発見があり、どれもたいへん面白い。面白がるためには何事も回数をこなすことだ、ということを最近は繰り返し考える。
三鷹は遠い。往復で三時間はかかる。イベント開始の一時間前には着いていて、会場の周辺のコープや住宅街をぶらぶらと散歩しながらノートに書いた内容をぼんやりと整理する。書いて、歩く。イベント前のルーティンだ。どれだけ準備しても一割も話さない。その場での思いつきの方がずっと面白いからだ。UNITÉ での座談会。宮崎さんと浅井さんと楽しくおしゃべり。宮崎さんのすごいところは同じ話を何度もおなじ熱量で話せるところ。僕などはそれが公の場であれ私的な雑談であれ、一度した話の大半は飽きてしまってなかなか身を入れて再放送できない。再読は好きだし、同じような話を手を替え品を替えするのも好きなのだが、同じ形で同じ話をするというのがたいへん苦手である。というか、僕自身に新鮮味が感じられないと面白いかどうか不安になる。客観的な判断ができていない証拠でもある。僕は生成フェチなのだ。テキストもおしゃべりも、その場でなにものかが生まれているという感覚がなければ面白くない。だからなるべくその場で思いついたことだけを話そうとしたけれど、すでにした話の割合はふだんのイベントよりも多かった。でもたぶん、そのくらいの塩梅が聴く側としてはいいのだろうとも思う。締めくくりの大森さんのコメントの鮮やかさに見惚れて、ああ、こういうイベントだったのだな、であれば僕たちはいい話をしたのではなかろうか、と思えた。すごい。即興で端的にまとめる能力は僕自身かなりの自負があるのだが、珍しくかなわないな、と感じてしまった。
みなさん忙しいようで、ご飯などはなしで解散。新宿でほろ酔いの奥さんと合流してなかよく帰宅。スーパーで寿司と豚汁と秋味を買って、一人で満足げに〆た。眠い。シャワー浴びるの面倒くさい。でも僕は臭い。ほげー。
