2024.01.04

ポケットには『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』。南千住に出てバーガーキングでお昼。店内は空いているのに、ウーバーとモバイルオーダーの持ち帰り客が伏在しており、かなり待つ。奥さんはバーキンと呼ぶ。Je T’Aime… Moi Non Plus…

バッハでコーヒーを飲んで、梨とババロアのケーキが美味しかった。水道橋に向かう。東京ドーム側の改札、と言われていたのだがどちらも東京ドームに出る改札のようで、迷った末にまちがえる。西口からは高架でドームまで直結らしい。思いがけずすぐさま現れる東京ドームの巨大さに心がはしゃぐ。人もごった返していて、お祭りだ。初詣に行かなかったから新年気分を味わう。列に並びながらまとめていただいていたチケットを受け取り清算。以前のやりとりで演技者としての櫻井敦司について、舞台上でのパフォーマンスは絶品なのに映像作品での芝居がまったくダメなのがチャーミングなのだとお話ししていて、その流れでプロレスにお誘いいただいたのだった。はじめましての方々に混ぜてもらって、初めてなんだ、と迎えてもらう。はい、あえてテキストでだけ勉強して、試合の映像はなるべく見ないようにしてきました。

(…)大事なのは観衆が信じるものではなく、観衆が見るものなのだ。 

ロラン・バルト『神話作用』篠沢秀夫訳(現代思潮新社) p.6

入場するともう大きな音が鳴っている。客席のぐるりの廊下には壁面にずらっと売店もあり、楽しそうだ。そわそわと一階席に着席し始まった闘いをみやる。四角いリングの一辺からは花道が伸びており、花道の向こうは半円のステージになっている。一分ごとにここから新手が次々に出てきて、花道を練り歩き、あるいは駆け抜け、リング上で乱闘する。リングアウトしたら失格で、最後まで残った四人が明日の興行の出場権を得るらしい。これはつまりスマブラだね、と奥さんが耳打ちする。たしかにそうだ。僕たちは花道と接する一辺を左奥に捉える位置に座っている。だから入場口と花道は下手に構えられており、選手たちは上手に向かってやってくる。リングの向こうはドームの曲線に合わせてスクリーンが横長に何枚も設置されており、選手たちの情報が映し出されている。髭面の厳しい顔が映し出されると会場がどよめく。イイヅカというその男は見るからに文明から距離をおいた存在であることが伝わってくる。全身に漲る猛犬のオーラは、花道を逆走して立ち向かう選手たちの頭部をがぶりがぶりと齧っていくところで顕在化する。リングに上がった獰猛な男を、悪そうな三人組がお揃いのTシャツをこわごわと差し出して手懐けようとする。凶暴な男は怪訝な顔でそれを受け取り、着る、そしてすぐさまびりびりに破き捨てる! 三人組はやっぱり頭に齧りつかれて恐慌をきたしてしまう。この久々に山から降りてきたような男の登場はリングサイドのアナウンサーを怯えさせていた。男がリングに上がるのは数年ぶりで、そのころはいつもあのアナウンサーが襲われていたのだと教えてもらう。じっさい可哀想な彼のスーツは剥ぎ取られ、シャツも引き千切られてしまう。アナウンサーのぷりっとした上半身にはネクタイだけがぶらさがっている。ほかにも青いジャージを纏った変なやつだとか、営業マンのような男、大陸を馬でかけていそうな男などがおり、遠目に見ていても見分けがつくほどにキャラクターを主張している。2.5次元舞台では誇張された髪の色で認識できるようになっていることが多いが、レスラーたちはその全身で個を有徴なものとしている。この三者は最後までリングに残っていた。ちゃっかり、という言葉が似合う勝ち方だった。

このスマブラは第0試合という位置付けで、いよいよ本編が始まる。客電が落ち、ズバババーンと光と音楽が響く。おお、と思う。いつだってパキッと始まる上演の端緒は興奮する。幼いころ年末の格闘技番組で見たような大仰な煽りVTR はなくて、わりとあっさりと次から次へと試合が展開する。売店に行くタイミングが掴めないな、と思う。周囲のベテラン客はそつなくピザとか食べてる。僕も合間に客席を周遊している販売員からビールをもらう。小銭を出そうとすると、キャッシュレスなんです、と言われて慌ててSuica に切り替えようとまごついていると、販売員は大きな目で表情をくるくる変えながら、はじめてですか、と聞いてくるので、プロレスもドーム自体も初めてです、と応えると、野球もよかったらきてくださいね、とにっこりビールを手渡される。試合はどれも面白くて、単純に100キロの肉塊が空飛ぶの、目が喜ぶ。奥さんは舞台上でのアクロバットが好きなのだが、僕はよくわからなくて、でも細くてしゅっとした人たちがバキバキに踊り回転するのとちがい──これもとてもすごいのだが──プロレスはムチムチした筋肉の塊が重力を感じさせない軽やかさで空を舞うのだから見惚れてしまう。しかも着地時にはバシン! と大きな音が鳴る。この音に、いま宙を待っていた物質の重みは思い出されてこちらははっとすることになる。重力の忘却と、その忘却を可能にする力の大きさへの驚き。この反復に惹きつけられて凝視しているとことはあっという間に終わる。そのくせ、五分刻みに告げられる時間の経過に、まだそれだけしか、と意外に思うほど、時間感覚は濃密に伸縮している。

演技者にはざっくりとアクターとパフォーマーの二種があり、両者を兼ねることはほぼできないのではないかと思っているのだけど、プロレスというのはどちらのセンスもある程度求められてしまうかなり過酷な劇空間なのだなと思った。アクターとして完遂するべきテキスト=仮面=キャラクターを観客に説得するためには、演技する体に高い負荷をかけるさまをパフォーマティブに示す必要があり、しかし演技を伝達するために体にかけられた負荷自体の強さがあらかじめ演技することを待たれていた意味を優に超えてしまう瞬間が頻発する。書かれたテキストを実現するために要請される痛みが、用意された物語以上に物語めいたものとして迫り出してきて、意味を根こぎにしてしまう。そして観客の声は、レスラーが演技する行為の意味を反転させることすらできてしまう。これは酷薄だと思った。現状の人気っぷりや、そのレスラーがどのように解釈されているか、があられもなく暴かれてしまう。すでにできあがってしまったイメージを覆しうるのもまた、レスラーの体のほか何もない。

パフォーマンスを強いられる体の身も蓋もなさに晒されてなお、意味を手放さないアクターに惹かれた。辻陽太の歯を見せびらかすような笑顔、タマ・トンガやウィル・オスプレイの跳躍、エル・デスペラードのエレガントなお辞儀、ブライアン・ダニエルソンの情念の身振り、棚橋弘至や鷹木信悟そしてオカダ・カズチカの立ち回りは客席の視線だけでなく自らカメラワークを指揮するような熟練の計算があってこの人たちがこれまでのトップ選手なんだなと伝わってくる。悪の手下が机に叩きつけられて、お尻がすっぽりハマるような偶発的な絵面の間抜けさもよかった。EVIL やデビッド・フィンレーのような、横溢する意味を纏ったヒールがなにより色っぽかった。ブーイングは歓声以上に支援の身振りである。ブーイングだけが、意味になる必要がないほどに明快さが支配する空間の中で、意味を励ましていた。

退場後は近場のお店でかるくお食事。まだ咀嚼しきれておらず、その場では感想をうまくはなせなかったけれど、帰ってから奥さんと話しているとじわじわとその面白さが形を伴ってきて、かなり楽しかったな、と遅れてうれしさがやってきた。その場では興奮することしかできない。意味はあとからやってきたり、迎えに行くものなのだ。だから意味の圏内にいる限り、僕たちは鈍臭く口籠るほかないし、そんな二人でもドーム内ではひととき、意味の重力からふわっと解放されていたのかもしれない。全ての試合が終わり、しばらくして言葉を取り戻すころ、バシン! と意味のマットに叩きつけられて、言語にごてごてと太らされたこの身の重さを突きつけられるのだ。そうして日記が長くなる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。