2024.01.05

2.5次元舞台を観るようになって、生配信や円盤収録というレイヤーが重なる上演というものについて、主にカメラの置き方への不平不満という形で考えていたけれど、プロレスは現場と映像の両観客の目をつねに意識してきた形態なのだということを、昨日の試合を映像で見返しながら思う。カメラワーク、スイッチングの巧みさ。話法の洗練に感じ入る。演劇はおそらく、スポーツとして撮るべきだった。顔ではなく、身体が空間に作用するさまを鑑賞する表現なのだから。

そして即座に驚きを表明し状況を的確に言葉で描写する実況と解説の誇張された声の身振りのすごさ。生で観戦する体験が提示された体による意味からの離陸であるとして、映像でのそれはめくるめく運動の快感に喜ぶ目に文脈が伴走してくれる。

千葉雅也が『意味のない無意味』に採られているプロレス論で、プロレスとは現代において極まる資本主義社会で抑制されている子供っぽい贅沢が顕在化する場なのだというようなことを書いていた。なんだか迸る力に体を貫かれ、暴れ出さずにはおれないという感じ。その暴走は自己破壊をこそ志向しており、壊し切ってしまいそうでそうはならない、ぎりぎりのところで着地することができるという無根拠な不遜さが、いつまでも持続することを欲望する場がプロレスのリングなのだと。つまりそれはこういうことだ。

ご飯を噛んでいる間はおとなしく座っていないといけない。兄弟は母親からそう言われるのだったが、料理を食べておいしいと思うそのよろこびが、どうしたって全身を動かさずにはいなかった。大樹は、またマグロをひと切れ口に運び、舌に乗せ、小さな歯で押しつぶすと、さっきよりもひときわおいしく、感極まった。その余韻が全身に、手足の指先まで、おちんちんの先にまで行き渡ったあと、大樹は、見て! と大きな声を出して立ち上がらずにはいられなかった。そして、てぃーてぃーてぃー、と歌いながら、その場でくるくる回って踊りはじめたのだった。両手を大きく広げ、手のひらをばたばたと返しながら、腰を落としてステップを踏むその踊りは阿波踊りによく似ていたが、口ずさむメロディーは唱歌のようなゆったりとしたもので、動きもそのスピードに合わせた緩やかなものだった。大人たちはしばらくその踊りを見ていたが、やがて目を離してもとの通りに飲み食いをしながら、しゃべりはじめた。

大樹より二歳下の弟は海といった。海は兄が踊りはじめてすぐに、一緒に立ち上がって踊りはじめたのだったが、兄ほどしっかりした動きがまだできず、地団駄を踏んでいるような動きにしかならなかった。歌も兄のようにはちゃんと歌えず、というよりもほとんど笑っていて歌にならず、笑えば笑うほどさらに笑いがこみ上げてきて、もう立っていられない。大笑いして手を叩きながら畳に転がっているうちに、壁に頭をぶつけた。一瞬動きがとまってからまた笑いはじめようとしたが、頭を打った驚きと痛みで、思わず泣きはじめてしまった。それでも、大樹も磯村夫人もかまわずにいて、父親の磯村氏がちらし寿司を食べるのをやめて泣きはじめた海のことを黙って見ていたが、海はすぐに泣き止んで、咳き込んだ。

滝口悠生『楽器』(新潮社) p.222-223

力が「全身に、手足の指先まで、おちんちんの先にまで行き渡」り、「見て! と大きな声を出して立ち上がらずにはいられな」いこと。お互いに壊しかねない激しさで体をぶつけ、楽しさに笑いが湧き上がる。「笑えば笑うほどさらに笑いがこみ上げてきて、もう立っていられない」。「大笑いして手を叩きながら畳に転がっているうちに」コーナーから飛びかかられて華麗に技を決められる。「一瞬動きがとまってからまた笑いはじめようとしたが、頭を打った驚きと痛みで、思わず泣きはじめてしま」うが、それでもまた立ち上がり、笑い出す。そういう力の贅沢な蕩尽、いや、どこまでも使い尽くすことを志向しながらもすこしだけ余力を残しておく、その寸止めのスリルが楽しい。

NJPW WORLD に加入したから新日本プロレスの配信がたくさん観れる。今日の墨田区総合体育館での興行もライブで見る。ヒール集団がめちゃくちゃやる二試合がとても楽しい。EVIL のキャップが欲しいなと思い、買っちゃおうか、でもこれを買うなら試合を観に行きたいかな、などと考えているうちに来月ある別の団体のチケットを入手していた。PayPal で配信の支払いができる新日本と違って、こちらは銀行振込で物理チケットを郵送だ。奥さんに報告すると、ラルクの次にいきなり寺子屋バンドに行くようなものだね、と喩えられる。どれほど的確なのか判断はつかない。奥さんが帰ってきて、夕食後、一緒に試合の録画を観る。2チームが争う大所帯のやつ。大活躍だったフランシスコ・アキラにフォークが突き立てられるところで、ひいい、と悲鳴をあげる。雪見だいふくを食べる。日記を書きながら過去のEVIL の活躍をYouTube で観ていたら、高橋ヒロムの怒りの表現が小劇場の感情解放そのもので、懐かしさがあった。あまりの怪演っぷりに、きのう見た時はギャルだと思ってたけど、フェイクドキュメンタリーとかに出てそうな怖さがある、と認識を改めた。

もうハマっていると言ってもいいのかもしれないが、きのうがハマれるかどうかわからない時点でのどんなものか見せてくれよという感じだったとして、きょうはハマってみようかなとこちらから身を乗り出す段階であり、まだハマったとは言い切れない。この、ハマりそうで、積極的にこちらから仕掛けていく段階がいちばん楽しいこともある。ハマってからがもっとも楽しいというのが理想ではあるが、ほとんどハマっていて最後の決定打をこちらから受けに行くこのセクシーな時間を超えてくれることを願っている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。