文芸誌の面白いところは、掲載されている文章ごとに感覚される時間があまりに異なることだ。月刊誌という特性上、特集にあわせて集められた原稿には明らかに拙速であると思われるものもあれば、小説の発表の場として何年もかけて練り上げたのかしらと感じられるような中編や長編が一挙掲載されたりもする。その質や量のばらつきに、読む側としてはくらくらする。
床材や壁紙のサンプルを送ってもらったので、あれこれと並べて二人で検討する。クロスなんかはまさに微妙な差異で、光の具合でもずいぶん印象が変化する。ぜんぶ同じようなものじゃないか、と思うが、見る位置を変えるとなるほど確かにずいぶん違う。文芸誌に載っている短篇の印象を思い起こす。どれもよくできていて、できすぎていてどれも似たような印象であるように感じることがある。明日の朝、自然光でも確認してみよう、と話し、くたびれた。
『ゆるキャン△』の新しいのをみて、なでしこの姿だけで泣けてくるようになっている。志摩リンの回想シーンでは、愛知県警のマスコットであるコノハけいぶ、標識に印字された茶臼山の名前に我がことのような懐かしさを覚える。そう、この作品は、ありえたかもしれない地方での悪くない暮らしを想起させるから余計に琴線に触れるのだ。僕がさっさと東京に見切りをつけていたら、このような日々の楽しみを享楽していた可能性は低くない。ありえたかもしれない過去や未来として、僕はこの作品を眺めている。
終日目がしょぼしょぼして、すぐ眠い。
