ある日、隣で眠っている男の寝顔を眺めながら、この人はじぶんの弟が書いた看取られ音声についての論考をもう読んだのだろうかと考える。そこから考えは順接で飛躍し、自分か相手のどちらかがどちらかを看取ることを想像し始めると、無性に悲しくなってきてひとりでぽろぽろと泣き出してしまう。そんな夜もありました。
ふたりで休みを合わせて水道橋まで『MANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~WINTER 2024~ 』を観に行く。『A3!』はそもそもが中学生が妄想するようなトンチキストーリーなのだが、冬組は四つの組のなかでも年長で大人の魅力があるという設定のくせにいちばんトンチキで、粗さも目立つ。良識のある大人であれば鼻で笑い飛ばすほかないほどのはずなのだが、ここまで一緒に伴走してきたカントクとしては、もはやそんな冷静な判断などできるはずもなく、幼い空想の離別のようなものでもしっかり感情移入して自分らの生活を重ねてしまう。地方都市の子供たちがかつてケータイ小説を「リアル」なものとして感受していたのはこのようにしてではなかったか。肝心なのは情動であり、それを喚起するものはむしろトンチキなくらいの方が、誰も普段の日々との対照を考えることもなしにただ純度高く定式化された情動にだけ重ね合わせることができる。それはこの芝居を見ているとよくわかる。じっさい第二幕ではこのまえ奥さんに聞かされた心細い夜の話を思い出してしまって、何で泣いているのかは判然としないがしかし間違いなく目の前で演じられるものに引き出されるような涙であった。前作までの台詞からの引用や反復によって強調される「家族」という響きにどんどん弱くなる。ただ、これは家を買ったからかもしれない。現行の家族制度への違和感は強まるばかりだが、ハードとしての家を経営する族、つまりイエ-トライブとしての家-族。それを引き受ける覚悟におよよと頽れがち。
話は変わりますが、さいきんは水道橋といえばすっかり後楽園ホールで、要はプロレスがエーステの不在を埋めていたわけで、いまさらTOKYO DOME CITY HALLで彼らに再会してもちゃんと面白がれるだろうかと不安がないではなかった。それが杞憂に終わりとてもうれしい。ほっとして、近くのカフェで抹茶のテリーヌとチーズケーキをお供にコーヒーを飲み、ぽつぽつと感想を交わす。せっかくの有給休暇だ、明るいうちに繰り出して、いつも満席で諦める立ち飲み屋を見てみようと電車に乗る。はたしてすんなり入れたので、うきうきビールで初めて文旦サワーのちに日本酒。木耳と葱のナムル、カブと生ハムの煮物、ささみの昆布じめ、自家製コンビーフ、つまみもいちいちおいしくて、すっかりぺろんぺろん。歌おう! とカラオケで一曲目から声を枯らし、それでも二時間じゃんじゃん歌った。
こんなふうにいちにち遊び通しになるなんて思わなかったよ、うれしい誤算だね、帰り道、坂道に差し掛かると奥さんはにこにこしながらそう言ってこちらを振り返る。ふたりはいえーいとハイタッチをする。すると重心を前に傾けすぎた奥さんはその勢いのままつんのめって盛大にこけた。僕は一瞬で酔いが覚めてきょとんと夜空を見上げるように仰向けになった奥さんに駆け寄る。頭を打っていたらどうしよう、と心細くなる。上手にころべたようでそのへんは安心だったが、右の手のひらと膝が小学生みたいに擦り剥けてかわいそうだ。てへへ、と恥ずかしそうにしながら、これは明日になってから痛くなってくるんだろうな、と酔っ払いはへんなところだけ冷静な判断を下した。しっかり足元に気をつけて帰った。