2024.04.09

アラームを止めてカビゴンを起こす、そのiPhoneを握ったまま気絶するように二度寝してしまった。大雨だった。たい焼きを解凍のちにトーストして、コーヒーを淹れる。もちろん腹に収める。『群像』をリュックに入れて、雨靴を履いて家を出る。雨靴を買ってから雨の日に出かけるのが少しだけ楽しみで、お気に入りの道具を使えるぞというような気分になる。そして、ほんのりうきうきした気持ちで雨のなか出かけていくのは新鮮で、いつ買ったのかとNotion で日記を検索してみると22年の一月に購入しているようだった。もう二年以上経っている。それでもなお、おっ雨靴チャンスだ、とそわそわするのを考えると、もしかして一年のうち土砂降りのなか外に出る機会というのはほんの数日しかないのではないか。だいたいの大降りは、家を出るの諦めちゃうもんな。風も強くて、公園の桜の樹の下にはすでに汚らしい花弁の水溜りができていた。行きの電車は混んでいて、『群像』は読みづらかったので作業を進めた。春に出す『二人のデカメロン』に収録するエッセイのゲラを返して、ついでにまえがきを書いて出して、もろもろの庶務連絡を済ませ、さらには家の検討事項について素案を書いて奥さんにSlack で共有し、書き直しのやりとりを何往復かして、LINE で連絡を入れた。もう文字を使って頭を動かし、あれこれと判断を下すの疲れた、となり、労働はほとんど眠っているかのようだった。うかうかしているうちに、びゅんびゅん時間が過ぎる。突然やる気が沸いてきて、ばーっと動いて、疲れてすんっと静かになる。実家で飼っていたシマリスの挙動を思い出す。昨晩から奇妙に多動気味で、そろそろ糸が切れそうだ。

Googleの検索窓にカーソルを合わせると、急上昇ワードとして「クラス替え 最悪 対処法」と出てきた。もう自分が教室に通っていたころのことを思い出しても仕方がない気がして、いま真っ先に思い浮かぶのは『正反対な君と僕』だ。クラス替えはおおごとだし、席替えだって一大事だ。日々通う場所というものに、それでも僕はだいぶ無頓着だったと思う。毎日その場にいるというのに、学校も会社もそこに属しているという感覚が薄いというか、所属にアイデンティティを託す発想が貧しい。どこにいてもそこは自分を定義するものではないし、そもそも自分を定義できるものとも思っていない。僕が奥さんを「奥さん」とふざけて呼ぶのも、奥さんが誰かの妻であることに大した意味はないと信じているからで、肩書どころか名前というものもなんだか疑わしいし、なにより照れくさいからこうなっている。このような個人をラベリングするような名詞に対して抱くよそよそしさは、国家というものに感じる気味の悪さまで地続きである。

夜は月末の即興パフォーマンスとディスカッションの企画の顔合わせと打ち合わせで、会場で実施とのことだから靴を脱いで上がるのだろう。雨靴だからきっと足が臭い。しまったことだった。夕方以降雨は止むらしい。けっこうなことではある。こういう日に限って残業で、けっきょく最後の10分くらいしか参加できなかった。LINE で通話も繋がっていたので道中で耳を澄ませていた。それぞれの自己紹介を一方的に聞く。当日までどうなるかはわからないこと、なんとなく楽しみなことはわかった。なんの保証もないその場限りの試行錯誤。ふだんとちがう思考の動きを演者や観客の方々と一緒に探ることができたら嬉しい。ひとまず共演する人たちといちど空間を共有したり、顔を見ておきたかったから、ほんの数分であれ行ってよかった。帰りにラーメンを食べる。奥さんは夜遅くまで働いていたらしくいまにも寝てしまいそうだった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。