2024.12.09

Rentioで借りている自動給餌器は、接続の仕方が煩雑でムカついて以来ちょっと嫌い。見守りカメラ──この呼称はなんなんだ、監視カメラのソフトな言い換えが不気味だ──がなぜか外出先で接続できず、まじめに解決策を探すのも面倒で、どうせ返すし、とふてくされていたのだけれど、きょうは急な出勤で、体がだるく、どうしても猫の様子を見たかった。いま借りているもの自体のトラブルシューティングはまったく見当たらないので、べつのカメラの接続トラブルをいくつか参照しつつ、スマホ側で試せる策は試してみて、それで駄目なら自宅のWi-Fi側の設定をいじる必要がありそうなのだけれど、そこまではしたくない。家の外でできることが少ないからこそ相手してやるが、わざわざ無限にやりたいことのある家においてこんな腹立つ機械のケアなんかしてやるものか。はたして、スマホ側の通信設定をちょこちょこいじるだけでカメラが繋がった! しかも、ちょうど画角内に猫がいる! うれしかった。いま二階のこの部屋には人間は不在っぽい。そんななか、おもちゃで遊んだり、柱に巻き付けた縄に爪を立てたり、本棚に吊り下げられたスクリーンの裏側に潜り込んだり、人間の目があるときと変わらない過ごし方をするのびのびした姿を眺めていると、じんわり嬉しくなる。しかしやっぱり接続は不安定なようで、繋がるときと繋がらないときもある。繋がらないときのほうが多い。星5サーヴァントの排出率なみの成功率。やっぱり嫌いだな、この機械。何度目かの接続で、猫のために二階の仕事場に電気が点いている。これは、奥さんが猫のために二階に移って労働しているということなはずで、猫に対してはなんの呵責もなく行っていた窃視のいやらしさがにわかに顕在化する。面白いもので、どうしてもカメラの映像を確認することはできないというのであれば諦めがつくものの、数十回に一回はなぜか成功するとなると、無為にリトライを繰り返してしまうものだ。ときたま映像が受信される、その瞬間のうれしさの大きさに射幸心をあおられるらしい。

窃視だの射幸心だの言ってみているが、じっさいのところ、自分がそこにいなくても家ではいつものように時間が流れている。そのことを労働の現場からでも確認できるというのによって素朴に救われる気持ちがあるのだと思う。はやく帰りたい。でも帰れない。リアルタイムで映像を受信するアプリは、限られた画角の枠内ではあるけれど、眼だけは微かに帰ることを可能にする。動きがなくてもいい。ただそこに数秒の遅延を伴って家の現在が共有させているというそれだけで帰りたさが僅かながら慰められるようなのだ。そして、職場にいながらのこの擬似的な帰宅は、ほとんど成功しない。接続がほとんど失敗するからこそ、このナンセンスな代理行為に謎の切実さが宿る。幾度にも重なる試行のすえにやっと実現される接続が、じっさいには遂行されていない帰宅を錯覚させる。しかしそれは実現そのものと取り違えられているのではなく、ほとんど失敗するにも関わらず何故か成功したという無為な行動それ自体が幻視を準備している。ユートピアは、試行の成功ではなく失敗の夥しさによってこそリアリティを帯びるということを、ばかみたいな機械に振り回される不愉快極まりない経験から実感した。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。