阿部さんから往復書簡のお返事が来る。来週金曜夜のおしゃべりがどんどん楽しみになっている。
僕は、深夜のファミレスや、真昼の部室での駄弁りのように、お互いの話を聞いてるんだか怪しいほど、とにかくどちらかの発話した音やリズムに触発されて好き勝手いつまでま喋り続ける、というのが楽しくて仕方がない。
昨晩のトークでもあった、日記という、垢や爪のようなものを身勝手に「作品」として誤認し、触発され、また別の何かを作ってしまう。いま生きているこの体が、そのようにして何かを書き、そのようにして何らかが考えられていく。それ自体が面白い。そのような気分はかなりわかる。ただ読み書きが好きな素人としてはそれで充分とも思う。
それが、プロダクトとして流通に乗るということを考えたとき、正確さだとか新規さといったクオリティが内外から求められたり、歴史や安全への責任みたいなものが発生したりする。僕はこのようなものと付き合うモチベーションがよくわからないでいる。
昨晩から今日の午前中にかけて、ついかつてツイッターだったアプリを開いてしまって、案の定どく状態になりかけた。そのくせずっと見ちゃいそうでもあり、怖かった。何ならまだ見たい。「なにか通知があるかも」というそわそわ感、すごく強く人を引き込む。
寒すぎてしょげ。よぼよぼで帰宅すると、舐め壊し防止のために服を着せられた猫が俯いた姿勢でしょげていて、一緒にしゅんとして過ごした。もうなんもいいことないね。
