2021.03.19(2-p.53)

『「暮し」のファシズム』の第二章がとても良かった。太宰のヒロインズのひとり、有明淑の日記。徹底して個人主義を剥ぎ取ろうとする時流への抵抗、その実践の記録としての有明の日記から、いかに太宰は有明の個性を剥奪し「女生徒」という小説を完成させたか。それを克明に描き出していく。日記、ブログ、「綴方」で女性が個を主張することへの男性側の徹底した抑圧。『ヒロインズ』を、そしてこの前のわかしょ文庫さんとのおしゃべりで出た、はてな匿名ダイアリーのコメント欄にはびこるミソジニーを思い出しながら、静かな憤りがふつふつと沸き上がるのを感じ、昨晩書いたような日記者としての矜持みたいなものがますます強まるのがわかる。生活を個人の領分から譲らないこと。生活の様式は個人個人が決めることであると言い続けること。側から見たら謎でしかないこだわりや杜撰さを持ち続けること。常に小声で書くこと。あらゆる抑圧に中指を立てること。

僕は学生時代に構造主義周辺に傾倒したこともあって、個人のオリジナリティというものを信じない。基本的に主体というのは自律的なものでなく他律的なものだと思っている。僕のアイデンティティなど、気圧や寒暖差や収入や人間関係でいくらでも変わっていくものだと。誤解されては困るのは、そういった個人が流動的で気まぐれなものであることの肯定は、社会構造や01のシステムの都合で個人の生活や思想を可変的なものとして扱うことの肯定にはまったく与しないということだ。むしろ個人というもののあり方が種々の他者との交わりによって規定されるのと同じように、構造やシステムのあり方もまた、無数の個人という他者によって規定されているのだから、本来相互であるはずのフィードバックを、なぜだか為政者や計画者や管理者の側からの一方的押し付けしかありえないかのように擬制する醜悪さに対しては、強く強く抗うべきだというのが僕のスタンスだ。

aiko の新譜とPOP LIFE とを往復しながら、一曲目に毎回やられてしまい、その後の曲が頭に入ってこない。タイムラインやイヤホンから流れ込む「特級呪物」「エモーションの暴風雨」といった評に頷きつつ、僕はこの圧にいつまで耐えられるだろうかと思う。もともと僕は私生活における恋愛的な感情の暴走が嫌いというか鬱陶しくてたまらなかった──多分これも有明の個人主義への共鳴と近いところに原因があるはずだ。エモーションの暴風雨はフィクションとしては嫌いではなく、それに僕はaiko にとって恋愛は呪術の器でしかないというか、基本的に音がすごいから好きなのだし歌詞しか語らない音楽レビューはつまらないのだけど、今回は歌詞を聴かずに聴いても耳に入ってくる言葉の断片や、音そのものの情念の表現にがっつり食らうようで、カロリーが高い、と思う。それともこちらがもたれるようになってしまったのだろうか。

Twitter でふと見慣れた表紙が飛び込んできて、古本りんてん舎さんのツイートで、ZINE版『プルーストを読む生活』の1巻が立派に古本として扱われている! とても嬉しい!H.A.B から合本版を出してもらえるとなったとき真っ先に思ったのは「これで古書としても出回れる」ということで、定価も何も書いてないZINE は、そもそもクオリティが担保されないし、値付けもやりづらいだろうから廃棄だろうなあと思い込んでいたからで、だからこうしてちゃんと古書として扱われることは望外の喜びだった。新刊書店はその本がアクチュアルであるかを試すけれど、古書店は時事的な文脈から切り離された剥き出しの存在として本をあらしめる空間だと思っているので、『プルーストを読む生活』もそうした一冊になれたようで光栄だなあ、嬉しいなあ、と奥さんに報告すると、東京堂書店は武道館で「文學界」が紅白だって言ってたけど古本屋は何? と訊いてくる。難しい問いだった。僕は図書館にもだいぶ助けられているので、図書館に入った時も感慨深かった。図書館はTSUTAYA かもしれない。古本屋はなんだろうなあ、なぜバンドマンで喩えてきたのかわからなくなってきたが、ここまで来たらうまいこと喩えたい。しかしいいのが思いつかない。なんだろう、アビー・ロード・スタジオでの録音とか?

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。