『霊性の日本思想』を読み終える。王権と神仏との距離で時代区分を設定し、思想史を素描するというアイデアは面白く、だからこそもっと発展させてほしかった。終盤に行くにつれアイデアスケッチ然としてきて食い足りない。『霊的最前線に立て!』的な与太話とくらべればどうしても飛距離はない。かといって学術的な厚みが感じられるでもなく、初学者への動線の目配りも微妙で、やや物足りなさもありつつ、端的なレジュメとしてここからあれこれ考えるのは楽しそう。日本の大乗仏教について詳しくなってから読み返すと違うかもしれない。あと、図示するほどでもないシンプルな図が出てくるのが可笑しい。宗教家やオカルティストたちの、やたら書き込まれたごちゃごちゃした図と対照的で。
労働を早めに済ませて神保町まで出て、稲垣さん丹澤さんと会場視察も兼ねてお茶する。キャロットケーキがおいしかった。思えばこれがお昼ご飯代わりで不健康。ジャズをレコードで聴くイベントが催されていて、この格好いい空間をいかに格好よくさせないかだな、と考える。どんな場所でも上演できるものをつくるというのは、場の雰囲気を圧倒するでもなく、馴染みすぎるでもなく、程よく頓着せず、ほとんど意識しない最低限の調整だけでなんとかするということで、作り込みすぎても、弱すぎてもいけない。難しそうだな、と他人事のように考える。
解散後、まだ間に合いそうだったので新宿線で浅草橋のレンタルスペースに向かい、『随風』のサインをつくる。友田さんの差し入れのお菓子がたいへんおいしかったけれど、花粉と黄砂由来であろう倦怠感がどっときておりあまり元気なし。また新宿線で初台へ。オペラシティのくまざわ書店で『コロナ禍と出会い直す』を買ってからフヅクエヘ。阿久津さんが『映画史』のDVDボックスを貸してくださるとReads で提案してくださって、大喜びで読みにきたのだった。レモンスカッシュと鶏ハムのサンドイッチをお願いして、『プロレゴメナ』を読み、疲れたら買ったばかりの本をつまみ、でもやっぱりゴダールが読みたくなって、これはリュックに入っていないのでお店の棚のものを読ませてもらう。ドッグイヤーや書き込まれた線を辿るように眺めたりしているうち、いつしかすいすい夢中で読んだ。はじめの一〇〇頁くらいのドッグイヤーが戻されていて、これはかつて誰かが勝手にひとの読書の痕跡を均してしまったのか、あるいは再読した阿久津さんの思考の痕なのか、どちらだろうかと考えるともなしに考えていた。『映画史』のDVDボックスをぶじ受け取ってほくほく。楽しみだなあ!
新宿の南口まで歩く。駅舎の広告には「日本中の皆さん、最高の応援、ありがとうございます。」とある。サッカー選手の手書きメッセージらしい。日本中の皆さん、か。お前のこと知らんけどな。日本「中」というのが一層いやさを増している。自意識を、知らん人にまで広げるための媒介として、国家というものがいまでも効力を持ちうるためには、個々人を動員する別の装置が必要になる。そのひとつが日記であり、音楽であり、スポーツだ。スポーツやアイドルへの乗れなさは、動員の不気味さゆえなのだけれど、じゃあなぜ日記は大丈夫なのだろうか。自分なりの理路はあるけれど、まだかなり脆弱なものであろうとも感じている。
ライブ後の奥さんとその友人と合流して、ピザ食べて帰る。
