2025.07.12

タイムラインに流れてきた日経新聞の見出しに「雑貨店のヴィレッジヴァンガード、81店を閉店へ 2期連続最終赤字」とあった。もうすっかり本屋じゃなくなったんだな。遊べる本屋だったころ、中学校の友達を、楽しいところがある、と連れて行ったら半泣きで、怖いから帰る、と言われたことがある。そのような第一印象がつよく、高校生になる頃にはもうずいぶんとジャスコの雑貨屋だったはずなのに、どうしてもあの店はガキをビビらせる本屋なのだと思い描いてしまう。上京して驚いたのは、ヴィレヴァンが悪所ではなく、カジュアルでポップな場所として語られていたことだった。都会も大したことないな、と感じたはずだ。郊外のロードサイドに、特異点のようにして佇むもの、それが僕にとっての「カルチャー」だった。

(…)経済の目的が富の増大であるとか、科学の目的が真理の追究であるといったかたちで、政治の目的をひと言で表すことは不可能である。政治が人間集団の秩序をつくるアルスであるのは確かだろうが、その秩序の観念はあまりにも多義的だからである。現に政治の理想はさまざまに語られてきたが、それぞれの歴史的条件を勘定に入れればすべては相対的でしかなかった。結局、政治は人間がただ集まって暮らすための知恵だというほかはないが、これはなんとジンメルのあの「純粋な社会化作用」、いいかえれば社交の原理そのものに似ていることだろう。いうまでもなく完全に没理想の政治はありえないが、過度に理想主義的な政治がつねに失敗するのは、たぶん政治が一面で社交だという真実を忘れたことの報いなのである。 山崎正和『社交する人間』(中公文庫) p.220

選挙の時期特有の憂鬱を抱えながら、社交について考えつづけている。『BUTTER』も読んだ。とてもいい。ルッキズム、家庭規範、労働規範といった外圧に規定されつつも、それらをズラしうる力能を持つものとして、好きなものを好きなだけ食べることが描かれていく。料理をするのでも自炊するのでも、どちらだって構わず、重要なのは自分の食べたいものを見極め、それを獲得できるという自負なのだ。セルフケアとしての家事の、あるいは生活保守ともいわれかねない日々への愛着の内に潜む反骨をごりごりに書き切っていて、たいへん好きだった。手料理を振る舞うという社交もある。パーティしたいな。そうだ、重版記念パーティしたい。

夜は学術バーQでシリーズイベント専門知探訪のホスト。前回は工学で、今回は心理学。仲嶺真さんにお話しを聞く。仲嶺さんの人望と、心理学への関心とで、会場は大入り。緊張した。心理の測定がメインテーマではあったのだけれど、前半はヴントから連なる学説史から概説いただき、基礎と応用、つまり理論と臨床の違いなどについても教えてもらう。お客さんの中に何人か臨床の方々がいて、そちらの話も充実したし、両者の緊張関係も透けて見えるようで楽しい。後半の測定についての話題では、いままさに着手中の論文をめぐるアイデアの提示があり、ここでは心理学プロパー、門外漢まじえ、次々に質問や疑問が発せられた。じっさい、仲嶺さんの議論設定を無視した、全体の蒸し返しにちかいものがほとんどで、フォローするか迷いつつ、僕は素人としてここにいるのだからそれはそれで変かも、などと考えていた。素人質問を僕が独占するのも変だが、専門家のゲストが話したいことの手前でまごつきつづけるのもあまり面白くはないから、とにかく相手の話を相手の敷いた道に沿って愚直に聞くというのは、やはりそれだけでけっこうなことなのだろうなと改めて思う。こうして皆でわいわいやる楽しさや、場としての意義も感じつつ、野放図にしておくのはそれはそれでホストの怠慢だよなあと反省もした。あらかた話を終えた後、奥さんが、あれってこういうことですよね、と話していて、やっぱり伝わるように聞けば伝わる話だった。ポイエティークRADIOで話すとき、僕が観念的な仮説をもごもご喋っていると奥さんがまったくピンと来ず、どんどん本筋から離れていく時間というのがほとんどであるが、あれを他の人と過ごす手応えがあった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。