2025.07.11

この日記から柿内がいなくなっているのを感じる。猫のおしっこの話だけ書いた日に、『プルーストを読む生活』の二刷が届いた。わあ、と眺め、造りが変わった形とひらきを確認し、いいねいいね、と嬉しくなり、あとで写真や動画を撮って見せびらかそうと思いながら、ぼーっとしていたらやりそびれ、そのまま日記にも書きそびれていた。大はしゃぎなのに、大はしゃぎを書き落としている。素直に喜びを表に出さない人を、すかしているとか、慣れてしまって不感症になっているのだ、と昔は考えていたけれど、その場でわーい!と思って、それきりどこかに書き残したり発信したりしない、ということはぜんぜんあるよな、と今ならわかる。言葉にすると損なわれるものがある、というようなナイーヴなことでもない。ただ素朴に、うれしさを外に共有可能な形で整えることへの興味が薄らいでいる。ねえねえ聞いてよ、という気持ちが柿内を駆動していたし繰り返しそう書いたのだけれど、だんだんと、生来の内向きに戻ってきているというか、素朴にインターネットのソーシャルネットワーク的なものについては興味がなくなっていて、わざわざ伝達したいという気分が失せている。ただ、体を伴う社交にだけ興味があり、じっさいこれは頑張ってインターネットでいろいろと発信していたのも、対面の人間関係につなげたいという動機がもとにあったわけで、これもけっきょく、今にけっこう満足しているという話で済んでしまうのかもしれない。文字のコミュニケーションは外向きにやればやるほど内面が強化されていく傾向にあるが、声のコミュニケーションは社交的にふるまえばふるまうほど内面が希薄化していく。僕はもともと内面を揺るがせ書き換えていくのが面白くて読み書きしてきたのだけれど、それだったら直接会って話すのがはやくない?というモードなのだろう。これは明白に、読み書きで培った筋力が、じっさいの社交に結実してきたということだと思うので、喜ばしい。

『プルーストを読む生活』は、六年前の日記を五年前にZINEとして自主制作したものが、四年前にH.A.Bを版元として書籍化されたもので、そのような、リアルタイム性もないし、やたら分厚くて嵩張る本を、いま再び印刷して在庫を持つという判断がどれほどすごいことか。数年前の既刊の重版なので、初速がすごくてあっという間になくなるというものではない。気を長く売り続けることを決めてくださったということだ。今度は何年かかるだろう。ずっと書店にあって欲しいという気分と、さっさと原価を回収してもらいたいという気持ちとが両方ある。

暑くなって猫が胸やひざにのってくれなくなって、さみしい。奥さんにすり寄るのを見るたびに嫉妬できーってなる。ただ、奥さんも上にはのってもらえない。クーラーのある図書室に毎晩マットレスを敷いて寝るようにしてからは、僕の両脛のあいだで寝ることが多く、それを奥さんもやっかんでいる。昨晩は、おいで、と抱き上げてすぐにふられていた。二人とも猫からの寵愛を求めてじりじりしていて、でも無理やり獲得しようとしても遠ざかるばかり。つねに欲求不満で落ち着かず、ちょっとふわふわの毛の生えた背中をぴったりくっつけてきてくれるだけで柔らかい気分になる。こうやって他者のコントロールできなさにやきもきする体験というのは、ずいぶん久しぶりだ。

『プルーストを読む生活』が入荷したと各書店が投稿を始めて、それを見ていたらにわかにわくわくした気持ちになった。まずは本屋象の旅、それから本屋ブーケ、カクカクブックス、本屋とほん、HUT BOOKSTORE。そうだ、僕はもう、こうして具体的な場所を思い浮かべれば、まだまだ嬉しくそわそわした気持ちを、誰彼構わずおすそ分けしたくなるものだった。これはもちろん商魂でもあるのだが、それ以上に、もっと屈託のないねえねえ聞いて!という浮つきだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。