早起きできて、奥さんはしばらく起きられなさそうだったので午前中に『ヒドゥン』を見る。ブランチのあと、奥さんは二度寝をして、十三時くらいから録音をすると言うのだがそのまま十五時くらいまで眠る。寝れるならよかった。もうずいぶんと体調が悪そうだった。喉も痛そうで、録音どころではないのではないか。でもやるんだよ、と言い張るので、個人にとって自由とは、愚かになる権利でもあるよな、と思い録音する。楽しかった。
『ポーカー・フェイス』のシーズン2は二話を観て白けていたが三話でまた面白くなって嬉しい。『黒人理性批判』と『アーレントと黒人問題』を併読する。ンベンベは『ネクロポリティクス』が読みたくて、その前に『黒人理性批判』を読むべきかなと思ったのだけれど、あんまり歯が立たない感じがあるので速度をつけてとりあえず目を通す程度にする。『アーレントと黒人問題』はとても面白い。役者の一人である百木漠の『アーレントのマルクス』もそうだけれど、アーレントは彼女のクリアな理路そのものはもちろんだが、その明晰さを支える盲目を明らかにするような研究書こそ面白い。雑にいえば、アーレントの労働仕事活動の整理というのは、公的領域での政治活動は労働という生活の必要に追われないようなひとだけがするものであるというようなものなわけで、じゃあ労働というのは誰が担うんだよというところが弱点になる。アーレントの論理的明晰さが明晰であるために捨象してしまうもの、それは例えば女性であり、黒人である。しかし二冊とも、というか黒人について集中的に読む日々の中で、自分たちが扱う言葉や概念、価値体系そのものが自分たちを否定する論理を内包しているという状況で、それでもなお読み書き考えることのストラグルの困難と勇敢さを思い知り続けている。以前見たドキュメンタリーでニーナ・シモンが語った自由の定義——恐怖がないこと——の重みの体感がずいぶんと変わっていることに気がつく。『ワン・バトル・アフター・アナザー』は好きな映画だが、ニーナ・シモンの引用の軽薄さにはまったくノれなかった。
奥さんはとうとう熱が出て、夕食を食べさせた後はなるべく寝てもらっていた。そのあいだ本を読むつもりが、どうも気持ちが騒がしくてあまり捗らない。日記は寝る前までに必ず書こう、書けなかったら一行で済ませたほうがいっそよいという考えにこの数日で改めてなってきているので、本を置いて日記を書き出すとつらそうな様子で起きてきたので、書き終えたら鼻うがいのための塩水をつくってあげよう。
