2025.11.24

きのうはせっかくRyotaさんにこのひとは毎日長文の日記を書く人だと紹介されたのに、あまり長く日記を書かなかった。さいきんは長く書くほどの気力が湧く日が少ない。日々が充実していて不平不満があまりないからだと思うのだが、そのくせ書かないでいると不平不満とは別の鬱憤が溜まるようで、ずっと気分が重苦しい。まあこれは急激な寒さへの受け身の失敗というか、当然の失調でもある。今月は半分くらい寝込んでいたし、奥さんが労働人間になってしまって家の中の安穏が著しく損なわれているので健康なわけがない。きのうは社交に出かける僕を見送ったあと賃労働するのだと言っていて衝撃を受けた。なにも楽しいと思えない状態だからいっそ賃労働してやるのだ、と言っていたが、賃労働なんかしているから何も楽しくないのは明らかだ。奥さんはきょうも賃労働している。あんなにも労働は健康に悪いとつねづね言っている奥さんが、どんどん賃労働によって不健康になっていく様を見るのはつらい。はやく真人間になって欲しいと思う。しかし、労働せざるをえない状況というのもある。というか、つねに労働とはそういうものだ。しかし、賃労働とは労働の中でも歪なものであり、それは強いられた必要というよりも、むしろでっちあげられた必要であるところがムカつく。それはそれとして僕は社交に出かけ、気分はいくらかやわらいだ。それでも日記は短く済ませた。眠かったから。それに、社交とは書くことを触発させもするが、同時に書く動機を減退させもする両義的なものなのだ。

文字のコミュニケーションは外向きにやればやるほど内面が強化されていく傾向にあるけれど、声のコミュニケーションは社交的にふるまえばふるまうほど内面が希薄化していく。

前の随筆時評にそう書いたけれど、内面的な書きぶりというのはとくに知恵も知識もなくてもだらだらと書けてしまうような書き方であり、楽にたくさんの文字を産出できるものなわけだが、社交を重ねて内面がむなしくなってくると、外向的に書くほかなくなるわけで、そうすると途端に面倒くささが増す。じっさい社交的に振る舞っていると相当の訓練や技量や根気がないと、書く気がなくなる。その場でのコミュニケーションに満足できるのであれば、わざわざ文字を連ねて伝達可能な形に整理する面倒なんてやる気にならないだろう。しかし、面倒なことはやらないでいるとヘルシーさを損ねる。体操も勉強も、やり始める前は最低の気分かもしれないが、やっている最中は案外楽しいし、やったほうがけっきょく気分はいいのだ。この日記はいつだって内向的なようでいて妙に外向的であり、外向的だと言いながらかなり内向的であるはずで、しかし饒舌な時はあきらかに閉じているというか、意識的に内面的なるものを演技している。「私」を演技するような振る舞いがおしゃべりな日記を引き寄せて、おしゃべりであるがゆえに外向的なような見せかけにもなりうる。そういえば、僕は社交の場で相手の話を引き出そうとあまりしないところがある。しゃべりたい人は勝手にしゃべるし、しゃべらない人こそ外向的だと思っているからかもしれない。無理にしゃべらせて内に籠らせるようなことはせず、しゃべりたい人がしゃべればよい。しゃべらない人が、しゃべって内向きになっていく人が語ることによって触発される瞬間を邪魔しないでいたい。それで、しゃべりたくなったらしゃべれば楽しい。このような感じなので、ひとによっては冷たいとかそっけないとか思われるかもしれないけれど、そこに頓着したいとはあまり思えない。僕にとって社交とは口数少なく周りをきょろきょろ見渡すことなのだ。このような態度とはたぶんあまり関係がないが、『会社員の哲学』の感想と、社交での振る舞いとがないまぜとなったものとして、柿内さんにはカインドネスがある、と評してくれた方がいて、光栄だった。そうありたい。

きのうは『会社員の哲学』をその場で読み始めて面白い!とのけぞってくれた方がいたり、信頼している読者の方からカハタレの劇評を褒めてもらえたりして、とても嬉しかった。特に劇評については、お芝居それ自体に感じた面白さを超える面白さに気がつけたというようなことを言ってもらえて、いちばん嬉しいかもしれない。『『ベイブ』論』以来、ただ見るということがもっとも固有性を際立たせるものだという思いが強い。何をどのように見ているかを記述したり話したりすること自体が、世界をこのように受け取る人もいるのかという驚きになりうる。借り物の概念で賢しらに語るよりも、視点を素朴に開示することのほうが難しいし、なにより勇気がいることだったりする。そんなふうに考えていたんだ、よりも、そんなふうに見えていたんだ、のほうが僕は面白い。同じものを見て、似たようなものを見たことに安心したり、まったく別のもののように見ていることに驚いたり、そんなふうに見ることができるのかと感嘆したり、あれが見えないでいるのかとはっとしたり、したい。

なるほど、社交の日記は遅れてくるようだ。外に出かけたあともういちど内に帰って自分の話として書けるようになるには、いったん寝る必要がある。ということで今日に日記は午前中に書き終えられた。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。