午前中は奥さんの通院についていって、ブランチで資さんうどんで豪勢にきめる。それからショッピングモールへと移動してシネコンで『プロジェクト・ヘイル・メアリー』。奥さんは原作未読どころか、そもそも映画にもそこまで関心がないのでどんな映画なのかもあまりわかっていなさそうで、『オデッセイ』と同じ原作者の映画なのだと伝えると、じゃあまあごきげんそうだし行くかあという程度。僕は原作を読んでたいへん面白かった記憶がありつつ例によってほとんど覚えておらず、でもなんか映画で面白くするのは難しそうな印象はあり、でも評判いいし楽しみだなというスタンス。IMAXで、劇場が大きくてわくわくする。でかいのはいい。宇宙がよりおっかないし。映画はとても面白く、喚起されるのが原作を読んだ時の感覚にかなり近しいものになっていたのが驚いた。記憶喪失の状態で始まり、現状への対処と並行して記憶の修復が試みられる。そして修復された記憶からだんだんとプロジェクトの全容が具体化され、それを進行していかなければならないというような構造をとっているのだが、僕自身が、ああそうだった!と思い出すタイミングがほとんどゴズリングの回想が挟まるタイミングと同時であり、それはつまり情報の提示の順序とタイミングが適切だということだろう。面白いSFというのは情報の提示の順序とタイミングがすべてで、面白い説明のもたらすカタルシスだ。なにも覚えていない状態で映画に放り出され、だんだんと過去を取り戻していくというゴズと同期するような鑑賞体験は稀有だなと満悦していたのだが、奥さんは奥さんで昔「無骨な見た目だが美しい旋律で会話する人外がずかずかと自室にあがりこんできて、一緒に世界を救うバディものがあるのだが、作品名は諸事情で明示できない」というようなツイートを見かけてから、そんなの絶対に私が好きなやつじゃんとずっと気になり、でも作品名がわからないから出会うことはないだろうと半ばあきらめていた物語が目の前でだんだんと展開されていくのに、これは私の妄想か?と驚いたというから、これはこれでたいへん羨ましい作品体験だ。異なるあれとこれとが繋がった!という快感こそがこの作品の核であるだろうから。それを理知と想像力で行うのが小説版だとして、映画はやはり情緒と愛嬌で交通するものだから、ぼんやりとした原作の記憶からしてもロッキーの異種的な知性についてはチャーミングなキャラクターとしての側面を強調するために意図的にだいぶ抑えられていたと思うが、この映画は人間しか見ないのだし、適切な判断だろうと思えた。けれども、異種間コミュニケーションものに一家言ある奥さんは原作を知らないくせに、ロッキーが可愛すぎるな、異なる知性というのはああも都合よく地球人に馴化しないだろうし、そもそもロッキーから見たらゴズのほうが異質で何ならあほっぽい存在であるはずで、そういう要素が弱いのがちょっとな、などとまるで原作愛読者かのような感想を漏らすので面白い。あなたはたぶん原作を読んだ方がいいと思うな、と伝える。僕も再読したいし、音読して一緒に読むか。
奥さんが会社の飲み会で使ったおいしい焼肉屋につれてってもらう。チェーンじゃなくて格安でもない焼肉屋はほとんど生まれて初めて。いい肉はいいのだな、としみじみ感動した。上タン塩から始めて、カルビ、カイノミ、上ミノ。カイノミが美味すぎるからカルビは余計だと思うよと助言されたが、赤身を遠慮なくもりもり食べたかったので頼む。たしかに頼まなくてもよかったが、でもあったからこそもりもり食べられた。最上においしいものは、そんなにたくさんは食べられないから、映画にダレ場が必要なように、カルビのようなものを挟んだ方がいいのだ。面白い映画を見て、あー面白かった!とほくほくし、うまい肉を食べて帰る。最高のデートだったね、と満足の帰宅。まだ時間に余裕もあるのでお風呂の残り湯で洗濯までしちゃうし、プロレスも見ちゃう欲張りさ。最高!
